大日本帝国陸軍 第18師団の歴史

📌 主なポイント
- ✓第18師団は1907年に創設され、1925年の宇垣軍縮で一度廃止された。
- ✓1937年に再編成され、日中戦争および太平洋戦争のビルマ戦線で活動した。
- ✓通称号は「菊」であり、衛戍地は福岡県久留米市であった。
- ✓ビルマ戦線では補給の途絶や戦病死により、参加兵力の過半数が失われた。
第18師団(だいじゅうはちしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。通称号は「菊」であり、福岡県久留米市を衛戍地として編成されました。日露戦争後の軍備拡張期と、日中戦争勃発後の二度にわたり編成された歴史を持ちます。

第一次編成と廃止
1907年(明治40年)11月、日露戦争後の戦力増強策の一環として創設されました。同年12月5日には久留米市に師団司令部が開庁しています。1914年(大正3年)の第一次世界大戦では、歩兵第29旅団などを編合した「独立第18師団」として青島攻略戦に参加し、青島の占領を完了しました。
その後、第一次世界大戦後の軍縮の流れを受け、1925年(大正14年)のいわゆる「宇垣軍縮」により、第13、第15、第17師団とともに廃止されました。
第二次編成と太平洋戦争
日中戦争が激化する中、1937年(昭和12年)9月9日に特設師団として再編成されました。第二次上海事変における杭州湾上陸作戦や南京攻略戦に参加し、その後も広東作戦などに従事しました。
太平洋戦争においては、1941年(昭和16年)に第25軍戦闘序列に編入され、マレー作戦およびシンガポール攻略戦に従事しました。シンガポール陥落後は第15軍へ転属し、ビルマ攻略戦に投入されました。
1943年(昭和18年)以降は、フーコン河谷において連合国軍と激戦を繰り広げました。補給の途絶やマラリア、栄養失調により甚大な損害を被り、ビルマ方面での参加兵力約31,444名のうち、20,000名以上が戦死する結果となりました。
川口支隊
1941年11月、歩兵第35旅団司令部および歩兵第124連隊を基幹とする「川口支隊」が編成されました。同支隊は師団の指揮下を離れ、フィリピン戦やガダルカナル島の戦いに投入されました。1943年3月には第31師団へ転用され、第18師団は三単位編制へと改編されました。
よくある質問
第18師団の通称号は何ですか?
第18師団はなぜ1925年に廃止されたのですか?
川口支隊とはどのような部隊ですか?
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参考文献
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。