オリンピック

ストックホルムオリンピック(1912年)

ストックホルムオリンピック(1912年)
1912年ストックホルムオリンピックの歴史的背景、日本初参加、マラソンのエピソード、および大会の概要について解説します。

📌 主なポイント

  • 1912年5月5日から7月22日までスウェーデンのストックホルムで開催された。
  • 日本がアジアの国として初めてオリンピックに参加した大会である。
  • 金栗四三が参加したマラソン競技は、1967年の記念式典でのゴールにより「54年8か月6日5時間32分20秒3」という記録を残した。

1912年ストックホルムオリンピックは、1912年5月5日から7月22日までスウェーデンのストックホルムで開催された第5回近代オリンピック競技大会である。

1912年ストックホルムオリンピックのシンボルや関連するイメージ
1912年ストックホルムオリンピックの関連イメージ

大会概要

参加国・地域数は28、参加選手は合計2,406名で、その中には女性選手47名も含まれていた。主競技場となったのはストックホルム・スタディオンであり、開会式は7月6日に執り行われた。また、近代オリンピックにおいて純金製の金メダルが授与されたのはこの大会が最後となった。

日本の初参加

この大会において、日本はアジアの国として初めてオリンピックに参加した。陸上競技の短距離に三島弥彦が、マラソンに金栗四三の2名が出場を果たした。

初参加の日本選手団。プラカードを持っているのは金栗四三、日本の国旗を持っているのは三島弥彦。ストックホルムオリンピックの開会式にて。
初参加の日本選手団。プラカードを持っているのは金栗四三、日本の国旗を持っているのは三島弥彦。ストックホルムオリンピックの開会式にて。

日本選手団の団長を務めた嘉納治五郎の意向により、入場行進時のプラカード表記にはオリンピック史上唯一となる「NIPPON」が採用された。

歴史的な出来事とエピソード

男子マラソン競技では、過酷な気象条件や環境の中でポルトガル代表のフランシスコ・ラザロが走行中に倒れて翌日に死去し、近代オリンピック史上初の死亡事故となった。

また、日本代表として出場した金栗四三は、レース中に体調を崩して行方不明扱いとなり、正式なゴールを果たさないまま月日が流れた。その後、1967年3月21日の開催55周年記念式典において、金栗がストックホルムの競技場内でゴールテープを切り、タイムが「54年8か月6日5時間32分20秒3」として公式に認定された。

近代五種競技に出場した際のパットン(右)。
近代五種競技に出場した際のパットン(右)。

ピエール・ド・クーベルタンの発案による男子近代五種競技がこの大会で初めて採用され、のちに第二次世界大戦で活躍するジョージ・パットンが出場し5位に入賞している。

よくある質問

1912年ストックホルムオリンピックの開催期間はいつですか?
1912年5月5日から7月22日まで開催されました。
日本選手団が初めて参加したオリンピックですか?
はい、アジアの国として初めて参加した大会であり、三島弥彦と金栗四三の2名が出場しました。
金栗四三のマラソンの記録はどのようになっていますか?
1967年の55周年記念式典でゴールし、記録は54年8か月6日5時間32分20秒3となりました。

関連記事

国際オリンピック委員会夏季オリンピック金栗四三三島弥彦近代五種競技

参考文献

  • Officiell webbplats för jubileumsmarathon för 1912 års maraton i Stockholm (2022年7月23日閲覧)
  • Death Games of Olympics (2022年7月23日閲覧)