歴史・政治

1915年の政治動向と世界情勢

第一次世界大戦が激化し、中華民国で袁世凱が帝政復活を掲げた1915年の政治的な主要出来事や各国の動向について解説します。

📌 主なポイント

  • 1915年1月に日本政府が中華民国の袁世凱政権に対して対華21ヶ条要求を行った。
  • イギリスではガリポリの戦いの失敗や閣内対立によりアスキス内閣が総辞職し、挙国一致内閣が成立した。
  • 12月に中華民国の袁世凱が皇帝に即位し、これに反発する護国戦争が引き起こされた。

1915年(大正4年)は、前年から始まった第一次世界大戦が世界規模で拡大・長期化し、欧州のみならずアジアや中東情勢にも大きな影響を及ぼした年である。各国の政治体制や軍事戦略において、重大な転換点となった出来事が多数発生した。

第一次世界大戦の激化と外交的転換

ヨーロッパ戦線では泥沼化が顕著になり、新兵器の導入や新たな参戦国が現れた。2月にはドイツ海軍がイギリス周辺海域を交戦海域に指定し、Uボートによる無制限潜水艦戦を開始した。4月にはベルギーのイープル戦線で毒ガスが使用され、大きな被害を出した。また、同月にはイタリアが連合国側とロンドン密約を結び、後に参戦を果たした。

イギリス国内では、ガリポリの戦いの失敗や弾薬不足の問題から政局が揺らぎ、アスキス内閣が総辞職に追い込まれた。その後、主要政党による挙国一致の第2次アスキス内閣が成立している。

アジア・中東における政治的動向

アジアにおいては、日本が1月に中華民国の袁世凱政権に対して対華21ヶ条要求を突きつけ、5月には同政権がこれを受諾した。さらに、中東ではイギリスがフサイン・マクマホン協定を結び、戦後のアラブ独立に向けた約束が行われた。

中国国内では同年後半から袁世凱による帝政復活の動きが強まり、12月には中華帝国の皇帝即位が強行された。これに対し、雲南省で蔡鍔や唐継堯らが独立を宣言し、護国戦争が勃発することとなった。

国内政治と選挙

日本国内では、3月25日に第12回衆議院議員総選挙が実施された。また、台湾の台南庁噍吧哖では7月に武装蜂起(西来庵事件)が発生するなど、帝国支配地域における統治上の緊張も見られた。

よくある質問

1915年にイギリスで連立政権が成立した背景は何ですか?
ガリポリの戦いの失敗や弾薬不足問題に起因する閣内対立、およびアスキス内閣の総辞職を経て、挙国一致の大連立政権である第2次アスキス内閣が成立しました。
1915年の中華民国ではどのような政治的変動がありましたか?
袁世凱が帝政復活を推し進め、12月に中華帝国の皇帝に即位しましたが、直後に雲南省で独立が宣言され護国戦争へと発展しました。

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参考文献

村岡健次、木畑洋一編『イギリス史〈3〉近現代』山川出版社、1991年。