日本の歴史

第3回衆議院議員総選挙(明治27年)の歴史的背景と結果

第3回衆議院議員総選挙(明治27年)の歴史的背景と結果
1894年(明治27年)3月1日に執行された第3回衆議院議員総選挙の歴史的背景、条約励行論を巡る対立、政党別の獲得議席について解説する歴史記事。

📌 主なポイント

  • 執行日は1894年(明治27年)3月1日である。
  • 解散日は1893年(明治26年)12月30日である。
  • 有権者は直接国税15円以上を納税する満25歳以上の男性で、有権者数は44万113人であった。
  • 自由党が120議席を獲得して第1党となった。

第3回衆議院議員総選挙(だい3かいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は、1894年(明治27年)3月1日に執行された大日本帝国(帝国議会)の衆議院議員総選挙である。

背景と政治情勢

第2次伊藤内閣のもとで、外務大臣の陸奥宗光を中心とした治外法権の撤廃を目指す条約改正交渉が進められていた。これに対し、国民協会の主流派であった国粋主義者らは「完全な対等条約以外の改正は認めず、安政条約を忠実に履行すべきである」とする条約励行論を唱えた。

この条約励行論には、吏党・民党を問わず伊藤内閣に不満を抱く各党派が同調し、のちに硬六派と呼ばれる勢力を形成した。1893年12月、衆議院において条約励行建議案が提出されると、政府側はこれを条約改正を頓挫させる謀略とみなして停会を宣言し、同年12月30日に衆議院の解散に踏み切った。

選挙結果と勢力図

選挙の結果、政府による過度な干渉は避けられたものの、硬六派の中心となった国民協会は政府からの圧迫を受けたほか、有権者の離反を招いて議席を大きく減らした。一方で、硬六派に加わらなかった自由党は政府の直接的な敵対視を免れ、議席を大幅に伸ばして第一党となった。

選挙後の主な党派別獲得議席は以下の通りである。

  • 自由党:120議席
  • 立憲改進党:60議席
  • 国民協会:35議席
  • 同志倶楽部:24議席
  • 同盟倶楽部:18議席
  • 大日本協会:9議席
  • 無所属その他:34議席

総じて、民党側が多数を占めたものの、伊藤内閣に安定した与党勢力は生まれず、政治的対立は継続することとなった。

よくある質問

第3回衆議院議員総選挙が実施された年はいつですか?
1894年(明治27年)3月1日に執行されました。
この選挙の直接的な解散原因は何ですか?
外務大臣陸奥宗光が進めていた条約改正に対し、国粋主義者らが「条約励行論」を掲げて対立し、政府が衆議院を解散したことが原因です。
選挙で最も多くの議席を獲得した政党はどれですか?
板垣退助が率いる自由党が120議席を獲得し、第1党となりました。

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参考文献

総務省統計局 『日本帝国統計年鑑』 および帝国議会史料に基づく。