日本の政治史
第5回衆議院議員総選挙の概要と歴史的背景

1898年3月15日に実施された第5回衆議院議員総選挙の歴史的背景、選挙結果、および当時の政治情勢について解説します。
📌 主なポイント
- ✓1898年3月15日に実施された。
- ✓衆議院の解散と同時に内閣が総辞職した唯一の事例である。
- ✓自由党と進歩党が議席の約7割を獲得した。
第5回衆議院議員総選挙は、1898年(明治31年)3月15日に日本で実施された衆議院議員総選挙である。大日本帝国憲法下において、衆議院の解散と同時に内閣が総辞職するという異例の事態を経て行われた選挙として知られている。
歴史的背景
当時政権を担っていた第2次松方内閣は、大隈重信率いる進歩党と連立を組んでいたが、財政難への対応策を巡って対立が深まった。1897年(明治30年)10月、進歩党は連携の断絶を決定し、閣僚が辞任したことで内閣は議会での基盤を失った。松方正義首相は自由党との連立を模索したが失敗し、同年12月25日に召集された第11回帝国議会において内閣不信任案が提出されると、衆議院を解散した。しかし、解散直後に松方内閣は総辞職した。これは大日本帝国憲法下において、解散と同時に内閣が総辞職した唯一の事例である。
後継として成立した第3次伊藤内閣は、議会内に確固たる支持基盤を持たないまま組閣し、総選挙の結果を待つこととなった。
選挙結果
選挙の結果、自由党と進歩党が合わせて全議席の約7割を獲得し、政党勢力の強さが改めて示された。しかし、伊藤博文は自由党との連立を模索したものの、閣内の反対により断念した。この結果、内閣と政党の対立は解消されず、選挙からわずか3ヶ月後の第12回帝国議会において、再び衆議院が解散されることとなった(第6回衆議院議員総選挙)。
選挙データ
- 投票日:1898年(明治31年)3月15日
- 解散日:1897年(明治30年)12月25日
- 改選数:300
- 有権者数:452,637人
- 投票率:87.50%
よくある質問
第5回衆議院議員総選挙が実施された理由は?
第2次松方内閣が議会での支持基盤を失い、内閣不信任案の提出を受けて衆議院を解散したためです。
この選挙の投票率はどのくらいでしたか?
投票率は87.50%でした。
選挙後の政局はどうなりましたか?
内閣と政党の対立が続き、わずか3ヶ月後に第6回衆議院議員総選挙が行われることとなりました。
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参考文献
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 内閣官房編『内閣制度七十年史』大蔵省印刷局、1955年。