アレクサンドル・スクリャービン:ロシアの神秘主義作曲家・ピアニスト

📌 主なポイント
- ✓アレクサンドル・スクリャービンは1872年1月6日にモスクワで生まれたロシアの作曲家・ピアニストである。
- ✓モスクワ音楽院でピアノや作曲を学び、同級生にはセルゲイ・ラフマニノフがいた。
- ✓後期には神秘主義や独自の「神秘和音」を取り入れた前衛的な作風を確立し、20世紀近代音楽の先駆者の一人と評価されている。
アレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービン(ロシア語: Алекса́ндр Никола́евич Скря́бин, 1872年1月6日 - 1915年4月27日)は、ロシアの作曲家、ピアニストである。近代音楽の先駆者の一人とされ、初期のロマン派的な作風から、独自に発展させた神秘主義的な音楽語法へと作風を深化させた。
生涯
モスクワの小貴族の家系に生まれた。幼少期からピアノに親しみ、モスクワ音楽院でセルゲイ・タネーエフに作曲と音楽理論を、ニコライ・ズヴェーレフおよびワシーリー・サフォーノフにピアノを師事した。同級生にはセルゲイ・ラフマニノフがいた。
若い頃はピアニストとして活動したが、無理な練習によって右手首を故障する。これを契機として作曲に力を注ぐようになり、左手の特訓を行った。『左手のための2つの小品』などの作品を生み出し、作曲家としての道を歩み始めた。1898年には母校モスクワ音楽院のピアノ科教授に就任している。
1900年頃からフリードリヒ・ニーチェの哲学や神智学に傾倒し、これが彼の音楽思想や創作活動に大きな影響を与えた。1904年にモスクワ音楽院を辞職して欧州各地を転々とし、後期には無調的な傾向や独自の「神秘和音」を用いた前衛的な作品を作曲した。1910年にロシアへ帰国し、演奏活動や作曲に精力的に取り組んだが、1915年に敗血症のためモスクワで急逝した。
音楽と作品の特徴
スクリャービンは卓越したピアニストであり、その創作の中心はピアノ曲であった。初期はショパンやリストの影響を受けたロマン派的な作風であったが、中期以降は独自の和声構造や神秘主義的な世界観を取り入れた。
特に四度音程を重ねた「神秘和音」を多用したことで知られ、代表作であるピアノソナタの分野においてベートーヴェン以降の重要な開拓者となった。『第7番「白ミサ」』や『第9番「黒ミサ」』などの後期ピアノソナタや、『焔に向かって』などの作品群は、調性の枠組みを超えた独自の音響世界を示している。管弦楽曲においても、『ピアノ協奏曲 嬰ヘ短調』や『交響曲第5番「プロメテ - 火の詩」』などの意欲作を残した。
よくある質問
アレクサンドル・スクリャービンはどのような音楽家ですか?
スクリャービンの代表的な作品にはどのようなものがありますか?
スクリャービンの音楽における「神秘和音」とは何ですか?
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参考文献
- 著者吉澤ヴィルヘルム、発行者矢野恵二『ピアニストガイド』株式会社青弓社、2006年2月10日、248ページ、ISBN 4-7872-7208-X
- 長木誠司編著 『作曲の20世紀 i』 音楽之友社〈クラシック音楽の20世紀1〉、1992年、33頁。ISBN 4-276-12191-4