アントワーヌ・オーギュスタン・クールノーの生涯と経済学への貢献

📌 主なポイント
- ✓アントワーヌ・オーギュスタン・クールノーは1801年にフランスのオート=ソーヌ県グレイで生まれた。
- ✓1838年に『富の理論の数学的原理に関する研究』を出版し、数理経済学の基礎を築いた。
- ✓複占市場における企業の相互依存関係を分析した「クールノーの複占モデル」を提唱した。
アントワーヌ・オーギュスタン・クールノー(Antoine Augustin Cournot、1801年8月28日 - 1877年3月31日)は、フランスの哲学者、数学者である。いわゆる「限界革命」より半世紀前に数理モデルを用いて複占や需給の理論を展開し、数理経済学の始祖の一人として位置づけられている。

生涯
1801年、フランスのオート=ソーヌ県グレイで生まれた。1821年に高等師範学校の前身であるポンショナ・ノルマルに入学したが、政治的理由による同校の閉鎖に伴いパリ大学へ転籍し、1823年に数学の学士号を取得した。
その後、ローラン・グーヴィオン=サン=シール元帥のもとで秘書や息子の家庭教師を務めた。シメオン・ドニ・ポアソンの推薦を受けてリヨン大学理学部の解析学・力学教授に就任したほか、文部行政に関連する高官ポストやアカデミー・ド・ディジョン院長などを歴任した。
1838年には主著である『富の理論の数学的原理に関する研究』(Recherches sur les principes mathématiques de la théorie des richesses)を出版した。同書では経済分析に対して数学的な公式や記号が応用されたが、当時は強い非難を浴び、存命中は商業的な成功を収めることはなかった。晩年は視力をほぼ失い、1877年に75歳で死去した。
経済学への貢献とクールノー均衡
クールノーの業績の中で最も著名なものが、1838年の著作で発表された市場構造に関する分析である。2つの企業しか存在しない複占市場において、各企業がライバル企業の供給量が変化しないという仮定のもとで自らの供給量を決定するモデルはクールノーの複占モデルと呼ばれている。
このモデルにおいて、どの企業も自身の産出量を変更しようとする誘因が存在しない均衡点をクールノー均衡と称する。また、独占企業が最大利潤を得る産出量と価格の点は「クールノーの点」として知られている。これらの研究は、近代的な経済分析やその後のゲーム理論の発展における重要な出発点となった。