アメリカ合衆国連合規約の歴史と成立過程

📌 主なポイント
- ✓連合規約は1777年11月15日に大陸会議で採択された。
- ✓すべての邦の承認を得て1781年3月1日に正式に発効した。
- ✓連合会議には課税権や通商規制権が認められていなかった。
- ✓1785年の公有地条例や1787年の北西部条例などの重要な法整備が行われた。
- ✓1790年までにアメリカ合衆国憲法へ移行し、その効力を終えた。
連合規約(れんごうきやく、Articles of Confederation and Perpetual Union)は、アメリカ独立戦争の最中において13植民地の相互友好同盟を定めた規約である。正式名称は「連合および永遠の連合規約」であり、アメリカ合衆国における最初の連邦憲法とも位置づけられている。

批准までの経緯
13植民地がイギリスからの独立を決意した際、独立後も植民地間の連帯を維持するために同盟関係の樹立が図られた。大陸会議は1776年7月4日のアメリカ独立宣言採択直後から同盟形成を目指し、起草委員会を組織した。原案はジョン・ディキンソンによって作成され、1776年7月12日に大陸会議で報告された後、1777年11月15日に採択された。
批准には各邦の承認が必要であり、サウスカロライナが1778年2月5日に最初に批准した。しかし、西部の領有権をめぐる対立から批准には時間を要した。西部に領土を持たないメリーランド、ニュージャージー、デラウェアなどの邦は、特定の邦による西部領土の独占に不満を示した。最終的にバージニアなどの各邦がオハイオ川以北の土地の領有権を移譲することを明言したことにより、1781年3月1日にメリーランドが批准を完了し、全邦の承認を得て正式に発効した。
規約の構造と権限
連合規約は前文と13の条文、および署名の節で構成されている。連合の名称を「アメリカ合衆国」と定め、連合会議に外交や軍事、邦間の関係に関する権限を認めた。

一方で、13邦はそれぞれ絶対的な主権を保持していた。連合会議は宣戦や講和、外交使節の交換などの対外権限を持っていたが、課税権や通商規制権、常備軍を保持する権限は認められていなかった。財政は各邦からの拠出金に依存していたため脆弱であり、内政上の混乱を招く要因となった。
西部領土に関する条例
連合会議の期間中、将来の西部発展の基礎となる重要な2つの条例が制定された。1785年の公有地条例は北西部領土の測量と分配の方法を定め、1787年の北西部条例は暫定的な統治方法や将来の準州組織化、奴隷制度の禁止を定めた。
合衆国憲法への移行
中央政府の権限強化を求める声が高まる中、1787年5月からフィラデルフィア会議が開催され、連合規約に代わる新しい憲法の検討が行われた。1788年6月21日に新憲法であるアメリカ合衆国憲法が発効し、1790年5月29日までに13邦すべてがこれを批准したことにより、連合規約はその効力を終えた。