オーストラリアの映画史と映画産業の展開
📌 主なポイント
- ✓オーストラリア初の長編フィクション映画『The Story of the Kelly Gang』は1906年に製作された。
- ✓救世軍が運営したライムライト・デパートメントは、1891年から1910年の間に約300本の映画を製作した。
- ✓1970年代から1980年代にかけて政府の支援体制が整い、『マッドマックス』や『ピクニックatハンギング・ロック』などの名作が生まれた。
オーストラリアの映画産業は、長年にわたり繁栄と衰退の波を繰り返しながら独自の発展を遂げてきた。世界でも早い段階から映画製作が行われた地域の一つであり、国際的な評価を受ける作品や映画人を数多く輩出している。
初期の歴史と世界的な先駆け
オーストラリアにおける映画製作の歴史は古く、1906年には世界初とされる長編フィクション映画『The Story of the Kelly Gang』が製作された。また、1891年から1910年にかけてメルボルンに存在した救世軍の「ライムライト・デパートメント(The Limelight Department)」は、宗教的な映像だけでなく政府や個人の契約に基づく作品も含めて約300本の映画を制作し、当時としては世界最大規模の映画製作スタジオの一つであった。
1910年代のブームと第一次世界大戦後の衰退
1910年代初頭にはオーストラリア映画の最初の黄金期とも呼べるブームが訪れた。1910年の長編映画公開本数は4本であったが、1911年には51本に急増し、当時は世界で最も映画産業が活発な国の一つとなった。
しかし、第一次世界大戦の勃発や観客数の変動に加え、映画市場の構造変化によって産業は急速に衰退した。1912年には原住民に関する映画の製作制限などの要因が絡み、国内での映画製作コストがアメリカからの映画輸入よりも割高になる現象が生じた。連邦政府は1914年に輸入課税を導入したものの、1918年には廃止され、1923年頃にはオーストラリア国内で上映される映画の大部分をアメリカ映画が占める状況となった。
1970年代から1980年代の黄金期
1970年代に入ると、オーストラリア政府は国内の映画制作を支援する体制の構築に乗り出した。1972年に南オーストラリア映画会社(The South Australian Film Corporation)が設立され、1975年にはオーストラリア映画委員会(Australian Film Commission)が発足した。
こうした公的支援を背景に、独自の文化的背景を持つ優れた作品が次々と生み出された。ピーター・ウィアー監督の『ピクニックatハンギング・ロック』(1975年)やケン・ハンナム監督の『Sunday Too Far Away』(1975年)などは国際的な評価を獲得した。さらに、ジョージ・ミラー監督のSFアクション『マッドマックス』(1979年)や、ピーター・フェイマン監督のコメディ映画『クロコダイル・ダンディー』(1986年)といった商業的にも大きな成功を収める作品が登場し、1970年代から1980年代はオーストラリア映画の新たな黄金期となった。
現代の映画産業と国際的展開
現代のオーストラリア映画産業は、他の英語圏諸国と同様にアメリカ映画市場との激しい競争にさらされている。多くの才能ある監督や俳優がハリウッドへ進出する一方近年では、製作コストの低さや優れた制作環境を求めて、アメリカの大手スタジオがオーストラリア国内に拠点を構える動きがみられる。
フォックス・スタジオ・オーストラリアやワーナー・ブラザース・ムービー・ワールドなどの施設では、『マトリックス』や『スター・ウォーズ』シリーズの複数作品といった大規模な国際映画が製作されてきた。また、オーストラリア映画界は、ヒューゴ・ウィーヴィング、ニコール・キッドマン、ヒュー・ジャックマン、ケイト・ブランシェット、ラッセル・クロウなど、世界的に活躍する数多くの著名な映画人を生み出している。