日本史

江戸幕府の西洋式海軍組織に関する歴史

江戸幕府の西洋式海軍組織に関する歴史
江戸幕府が設置した西洋式軍備の海軍である幕府海軍の歴史、沿革、主要な艦船、そして戊辰戦争までの動向について解説します。

📌 主なポイント

  • 幕府海軍の活動期間は1845年(弘化2年)から1869年(明治2年)までである。
  • 安政2年(1855年)に開設された長崎海軍伝習所では、オランダ人教官を招いて近代海軍の士官育成が行われた。
  • オランダ製の「開陽丸」やアメリカ製の「富士山丸」など、当時としては東アジア最大級の西洋式軍艦を導入した。
  • 戊辰戦争において、榎本武揚らに率いられた残存艦隊は箱館へ脱走し、箱館戦争を戦った。

幕府海軍(ばくふかいぐん)は、江戸幕府が設置した海上戦闘を任務とする西洋式軍備の海軍組織である。中近世的な水軍の沿岸警備体制から発展し、幕末期の外国船来航や諸外国との緊張を背景に近代的な海洋戦力として整備された。

沿革と洋式船の導入

江戸幕府における海上戦力は、長らく戦国大名時代からの水軍を起源とする船手組や和船が主体であり、本格的な大型軍船の建造は禁じられていた。しかし、寛政期以降の外国船の頻繁な来航や、嘉永6年(1853年)の黒船来航を契機として、幕府は急速な海軍力の近代化に着手した。

安政2年(1855年)にはオランダから贈呈された蒸気船「観光丸」を練習艦とし、長崎海軍伝習所が開設された。オランダ人教官による指導のもと、幕府および諸藩から派遣された多くの伝習員が航海術や造船技術を学び、後の日本海軍の骨幹を形成する人材が育成された。また、江戸の軍艦操練所の開設や、咸臨丸による遣米使節団の派遣など、運用実績も重ねられた。

文久・慶応期の改革と作戦行動

文久元年(1861年)以降の軍制改革に伴い、軍艦組の設置や海外からの軍艦購入(「開陽丸」「富士山」など)が進められた。第二次長州征討などの内戦において、物資輸送や艦砲射撃などの作戦行動に投入された。慶応の改革では海軍総裁や海軍奉行が新設され、組織的な拡充が図られた。

大政奉還と戊辰戦争における動向

慶応3年(1867年)の大政奉還後、鳥羽・伏見の戦いを経て戊辰戦争が勃発すると、旧幕府海軍は部隊輸送や海上封鎖に従事した。しかし、新政府軍の勢力が拡大する中、榎本武揚らは「開陽丸」などの軍艦を率いて品川沖を脱走し、蝦夷地へ向かった。箱館で蝦夷島政府を樹立して抵抗したものの、明治2年(1869年)の箱館湾海戦での敗北により終焉を迎え、残存艦船や人員は新政府へと引き継がれ、大日本帝国海軍の土台となった。

主な所属艦船

  • 観光丸:オランダより寄贈された練習艦。
  • 咸臨丸:オランダで建造され、のちに遣米使節の護衛等に従事。
  • 開陽丸:オランダで発注・建造された主力大型軍艦。
  • 富士山丸:アメリカで建造された軍艦。

よくある質問

幕府海軍はいつ設立されましたか?
1845年(弘化2年)に海岸防禦御用掛などの体制が整備されたことに始まります。その後、黒船来航を契機として本格的な西洋式海軍への近代化が進められました。
長崎海軍伝習所ではどのような教育が行われましたか?
オランダ海軍から派遣された士官を教官として招き、「観光丸」を練習艦に使用しながら、航海術、機関学、造船術などの西洋式海軍技術の教育が幕府および諸藩の伝習員に対して行われました。
幕府海軍の主力艦にはどのようなものがありましたか?
オランダで建造された「開陽丸」や「咸臨丸」、アメリカで建造された「富士山丸」などが代表的な主力艦として知られています。
幕府海軍は最終的にどうなりましたか?
大政奉還および戊辰戦争の過程で一部の艦船は新政府軍に引き渡されましたが、榎本武揚らが率いた一団は艦船とともに蝦夷地へ脱走し箱館戦争を戦いました。最終的な敗北後、所属人員や施設は新政府へ引き継がれ、大日本帝国海軍の基礎となりました。

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参考文献

  • 金澤裕之『幕府海軍の興亡』吉川弘文館、2017年。
  • 安達裕之『幕末の日本海軍』中公新書、1995年。
  • 坂本賢三『海軍技術史』原書房、1983年。