日本史における幕末期の歴史と動乱

📌 主なポイント
- ✓幕末の始期は、一般的に1853年のペリー率いる黒船来航とされている。
- ✓1854年に日米和親条約が締結され、日本の鎖国体制が終焉を迎えた。
- ✓1858年には井伊直弼が朝許を得ずに日米修好通商条約を調印し、その後の政治的動乱を招いた。
- ✓1867年の大政奉還と1868年の王政復古を経て、江戸幕府は崩壊し明治時代へと移行した。
幕末(ばくまつ)は、日本の歴史において江戸幕府が政権を維持していた江戸時代の末期を指す言葉である。一般的には、1853年(嘉永6年)の黒船来航から、1868年(明治元年・慶応4年)の戊辰戦争や明治新政府の成立に至るまでの激動の時代を指すことが多い。
黒船来航と開国への道
1853年7月8日(嘉永6年6月3日)、アメリカ合衆国海軍のマシュー・ペリー提督が率いる4隻の艦隊(黒船)が浦賀沖に来航し、幕府に対して開国を迫る大統領国書を手渡した。老中首座であった阿部正弘は、従来の慣例を破って朝廷や諸藩の大名、さらには広く意見を求め、国防体制の立て直しを図った。翌1854年(嘉永7年)に再来航したペリーとの間で日米和親条約が締結され、日本は長きにわたる鎖国体制に終止符を打って開国した。
政治的混乱と条約締結
開国に伴い、諸外国との間で相次いで和親条約および通商条約が締結された。1858年(安政5年)、大老に就任した井伊直弼は、朝廷の勅許(許可)が得られないまま日米修好通商条約をはじめとする安政の五ヶ国条約を調印した。これと並行して進められた将軍継嗣問題や強権的な政治弾圧(安政の大獄)は、国内の強い反発を招き、1860年(万延元年)の桜田門外の変において井伊直弼が暗殺される結果となった。
尊王攘夷運動から倒幕へ
井伊の死後、政治の主導権は朝廷や、薩摩藩・長州藩・土佐藩をはじめとする有力諸藩(西南雄藩)へと移行していった。外国勢力の排除を掲げる尊王攘夷運動が激化する一方で、幕府権力の回復を目指す公武合体策なども模索されたが、国内外の矛盾は解消されなかった。やがて長州藩を中心とする勢力と幕府との間で武力衝突が発生し、国内は本格的な内戦状態へと突入していく。1867年(慶応3年)の徳川慶喜による大政奉還を経て、翌1868年の王政復古の大号令により江戸幕府は正式に消滅し、日本の近代国家への歩みが始まった。