日本の河川

別府川(鹿児島県を流れる二級河川)の地理と歴史

別府川(鹿児島県を流れる二級河川)の地理と歴史
鹿児島県薩摩川内市と姶良市を流れ鹿児島湾に注ぐ二級河川・別府川の地理、歴史、水利用、産業について詳しく解説します。

📌 主なポイント

  • 別府川は延長24km、流域面積177.3km2の二級河川である。
  • 流域の大半は鹿児島県姶良市に位置し、姶良平野を形成して鹿児島湾に注いでいる。
  • 歴史的には「納屋町船」と呼ばれる物資輸送船が運航され、地域の物流を支えていた。
  • 流域の粘土層は、古帖佐焼や帖佐人形をはじめとする陶芸・瓦などの産業に利用されてきた。

別府川(べっぷがわ)は、日本の鹿児島県薩摩川内市および姶良市を流れ、鹿児島湾(錦江湾)へ注ぐ二級河川である。正式な読みは「べっぷがわ」であるが、流域の住民の間では「びゅうがわ」とも呼ばれており、地域の学校の校歌などにもその呼び名が取り入れられている。

2008年4月に撮影された別府川の風景
別府川 2008年4月28日撮影

地理と流域環境

別府川は延長24km、流域面積177.3平方キロメートルを有する二級河川である。水源は姶良市の矢止岳とされており、上流部の一部は薩摩川内市(旧薩摩郡祁答院町)を通るものの、流域の大半は姶良市に位置している。

別府川流域の地図情報
地図

上流から南流する過程で、西浦川や田平川、前郷川、平田川などの支流と合流し、蒲生町上久徳の地点からは「蒲生川」とも通称されるようになる。さらに中津野付近で山田川と合流した後、姶良平野という沖積平野を形成しながら下流部で鹿児島湾に注いでいる。流域一帯は姶良カルデラの北側外輪山の侵食によって形成された地形が広がっている。

別府川流域の広域地図
地図

歴史と舟運

縄文海進期には、現在の別府川流域は海が深く入り込んだ入り江となっており、蒲生町付近まで海面が広がっていた。弥生時代以降に海の後退が進み、現在の河川流路が形成されたと考えられている。

歴史的には水運に利用され、満潮時には船で蒲生付近まで遡上することが可能であった。江戸時代以降、1595年に島津義弘が鍋倉地区に館を置いて以降は帖佐郷の中心地となり、別府川は重要な物資の集散拠点となった。九州自動車道が河川を横断する付近の上流側には「納屋町船」と呼ばれる輸送船の発着場があり、竹や米、木材などの出荷や、鹿児島側からの砂糖・素麺の搬入に活用された。

別府川橋梁を通過する特急列車
別府川橋梁を渡る特急きりしま

しかし、明治以降の河川改修や道路網・鉄道網の発展、第二次世界大戦に伴う労働力不足やトラック輸送への転換により、河川を利用した舟運は1944年に終了した。

水利用と産業

別府川とその支流の水は、古くから周辺の農業用水として利用されてきた。上名用水路、中津野用水路、山崎用水路、寺師用水路などが整備され、それぞれの地域の水田や農地へ灌漑を行っている。また、支流の前郷川では水力発電(前郷川発電所)にも利用されている。

産業面では、別府川が運搬した土砂によって形成された姶良平野の粘土層が活用されてきた。島津義弘が朝鮮半島から連れてきた陶工に由来する古帖佐焼や、伝統工芸品の帖佐人形、あるいはかつての瓦や煉瓦の製造など、粘土資源に根ざした地域産業の発展に寄与した。

よくある質問

別府川の読み方は何ですか?
正式な読み名は「べっぷがわ」ですが、流域の住民の間では「びゅうがわ」とも呼ばれています。
別府川の河口はどこですか?
鹿児島県にある鹿児島湾(錦江湾)に注いでいます。
別府川の水運ではどのような船が使われていましたか?
納屋町船と呼ばれる、米を約500俵積載できる200石船などが使われていました。

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参考文献

  • 『姶良町郷土誌』
  • 『別府川物語』
  • 『姶良町内の「浦」関係史料と「納屋町船」についての聞き書き』