アントン・ブルックナーの交響曲第3番
📌 主なポイント
- ✓アントン・ブルックナーの交響曲第3番ニ短調は1873年に最初の稿が完成した。
- ✓リヒャルト・ワーグナーに献呈されたことから「ワーグナー」の愛称を持つ。
- ✓作曲家自身のライフワークともいえるほど多くの改訂版が存在し、主に第1稿、第2稿、第3稿が知られている。
アントン・ブルックナーの交響曲第3番ニ短調は、作曲家自身が番号を与えた3番目の交響曲であり、1873年に最初の稿が完成された作品である。リヒャルト・ワーグナーに献呈されたことから、しばしば「ワーグナー」という愛称で呼ばれる。ブルックナーの作品群のなかでも特に改訂が繰り返されたことで知られ、複数の版が存在する。
作曲の経緯と初演
ブルックナーは1872年に本作の作曲に着手し、1873年に初稿が完成した。同年、バイロイトを訪れたブルックナーは、リヒャルト・ワーグナーに面会し、未完成の終楽章を含む本作の総譜を示して献呈を申し出た。ワーグナーはこの作品に強い関心を示し、献呈を受け入れた。
初稿に基づく1875年の初演はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によって計画されたが、リハーサルで演奏困難と判断されて見送られた。その後、1877年に大幅な改訂が行われ(第2稿)、同年ブルックナー自身の指揮によって初演が行われた。しかし、指揮への不慣れや聴衆・演奏者の無理解により、演奏会終了時にはほとんど客が残らないという失敗に終わった。この失敗により、ブルックナーは約1年間にわたり作曲活動から遠ざかることとなった。
その後、1888年から1889年にかけて再度大幅な改訂が行われ(第3稿)、1890年にハンス・リヒターの指揮によって行われた初演は成功を収めた。
リヒャルト・ワーグナーとの関係
本作の成立において、リヒャルト・ワーグナーの存在は極めて大きい。1873年8月31日にバイロイトのワーグナー宅を訪問した際、当初は門前払いのような扱いを受けたものの、後日楽譜に目を通したワーグナーは深く感銘を受け、ブルックナーを呼び戻して賛辞を送ったとされる。また、献呈の承諾をめぐるエピソードや、ワーグナーの楽劇からの主題引用が初稿の随所に見られたことなど、両者の関係を象徴する作品となっている。
版と稿の変遷
ブルックナーの交響曲第3番は、少なくとも6つの版が存在し、そのなかでも第1稿(1873年)、第2稿(1877年)、第3稿(1889年)の3つが主要なものとして知られている。改訂の過程で、ワーグナー作品からの引用句の削除や、終楽章における主題回想の変更などが行われており、それぞれの版によって音楽的な特徴や構成が異なる。現在では第3稿が演奏される機会が多いものの、第1稿や第2稿の独自性を評価する指揮者や研究者も少なくない。
楽曲構成
本作は全4楽章から構成される。
- 第1楽章: ゲマシト、ミステリオーソ、ニ短調、2/2拍子。弦楽器の響きを背景に、トランペットによって第一主題が提示される。
- 第2楽章: アダージョ、変ホ長調、4/4拍子。
- 第3楽章: スケルツォ、ニ短調、3/4拍子。
- 第4楽章: フィナーレ、アレグロ、ニ短調、2/2拍子。
参考文献
『ブルックナー交響曲』ハンス=ヨアヒム・ヒンリヒセン、高松佑介 訳、春秋社 2018年
よくある質問
交響曲第3番になぜ「ワーグナー」という愛称がついているのですか?
交響曲第3番にはいくつくらいの版が存在しますか?
初演は成功しましたか?
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参考文献
- 『ブルックナー交響曲』ハンス=ヨアヒム・ヒンリヒセン、高松佑介 訳、春秋社 2018年
- Anton Bruckner Gesamtausgabe Briefe 1852-1886 (Musikwissenschaftlichter Verlag Der Int. Brucknergesellschaft Wien)