日本の元号
文中 (元号)
文中(ぶんちゅう)は、日本の南北朝時代に南朝で使用された元号。1372年から1375年までの期間を指し、長慶天皇の治世下で用いられました。
📌 主なポイント
- ✓文中は南北朝時代の南朝で使用された元号である。
- ✓期間は1372年から1375年までである。
- ✓改元日は史料を欠くため不詳であるが、1372年4月28日以前であることは確実である。
- ✓出典は『易経』の一節「文在中也」に由来するとされる。
文中(ぶんちゅう)は、日本の南北朝時代に南朝で使用された元号の一つです。建徳の後、天授の前にあたり、1372年から1375年までの期間を指します。この時期、南朝では長慶天皇が在位しており、北朝では後円融天皇が即位していました。室町幕府の将軍は足利義満の時代にあたります。
改元について
文中の改元日については史料が乏しく、正確な日付は確定していません。史料上の初出は『金剛寺文書』に見える文中元年4月28日(ユリウス暦1372年5月31日)付の長慶天皇綸旨であり、これ以前に改元が行われたことは確実視されています。『南朝編年記略』や『続史愚抄』では10月4日(ユリウス暦1372年10月30日)とする説がありますが、これらは誤りとされています。また『七巻冊子』では3月22日(ユリウス暦1372年4月26日)とする記述もありますが、裏付けとなる確証は得られていません。
出典
元号の出典や勘申者は不詳です。『易経』彖伝上に「黄裳元吉、文在中也」という一節があり、これが由来であると推測されています。
文中年間の主な出来事
文中年間は、南朝勢力にとって厳しい情勢が続きました。九州では今川了俊が征西将軍懐良親王の大宰府(征西府)を陥落させ、南朝の勢力圏は縮小を余儀なくされました。また、長慶天皇の譲位に関する風聞や、吉野行宮の焼亡など、動乱の時代を反映した出来事が記録されています。
よくある質問
文中の期間はいつからいつまでですか?
ユリウス暦で1372年から1375年までの期間です。
文中はどの勢力が使用した元号ですか?
南北朝時代の南朝で使用された元号です。
改元日が不明なのはなぜですか?
当時の改元を直接示す公的な史料が残っておらず、後世の史料によって日付の記述が分かれているためです。
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参考文献
- 『金剛寺文書』
- 『南朝編年記略』
- 『続史愚抄』
- 『七巻冊子』