日本の歴史的行政区画
筑摩県の歴史と概要

明治初期に飛騨国および信濃国中部・南部に設置された筑摩県の歴史、管轄地域、沿革について解説する百科事典記事。
📌 主なポイント
- ✓筑摩県は1871年(明治4年11月)に設置された。
- ✓管轄地域は飛騨国および信濃国の一部(現在の中信・南信地方など)である。
- ✓県庁は松本城に置かれ、1876年(明治9年)8月に廃止された。
筑摩県(ちくまけん)は、1871年(明治4年)の第一次府県統合に伴い、飛騨国および信濃国の中部・南部を管轄するために設置された日本の県である。現在の長野県中信地方・南信地方、岐阜県飛騨地方のほぼ全域、および岐阜県中津川市の一部に相当する地域を管轄した。

沿革
明治4年11月20日(1871年12月31日)、第一次府県統合により信濃国の伊那県、高島県、高遠県、飯田県、松本県、および飛騨国的高山県などが統合され、筑摩県が発足した。県庁は筑摩郡松本(現在の長野県松本市丸の内)の松本城に置かれ、飯田城および高山陣屋に支庁が設置された。
1876年(明治9年)6月19日の深夜、県庁舎から火災が発生し、庁舎が焼失する被害が出た。同年8月21日、第二次府県統合に伴う行政区画の再編により、信濃国にあたる地域は旧長野県と統合されて新たに長野県となり、飛騨国にあたる高山地方は岐阜県へ編入された。これにより筑摩県は廃止された。
管轄地域
筑摩県博覧会
1873年(明治6年)には松本城において筑摩県博覧会が開催された。この博覧会の収益金は、松本城の買い戻しおよびその修復費用にあてられた記録が残されている。
よくある質問
筑摩県はいつ設置されましたか?
1871年11月20日(明治4年11月20日)に第一次府県統合によって設置されました。
筑摩県の県庁所在地はどこでしたか?
信濃国筑摩郡松本(現在の長野県松本市丸の内)の松本城に設置されていました。
筑摩県はなぜ廃止されたのですか?
1876年(明治9年)8月21日の第二次府県統合により、信濃国側は長野県に、飛騨国側は岐阜県にそれぞれ合併されたため廃止されました。
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参考文献
木村晴壽「明治初期、筑摩県の教育行政 : 教育県としての長野県の系譜」『教育総合研究』第2巻、松商学園松本大学、2018年11月、1-28頁。