日本の元号

長享とは:室町時代の日本の元号

室町時代の日本の元号である「長享」について解説。文明から延徳の間にあたり、後土御門天皇および室町幕府将軍・足利義尚の治世に行われた改元の背景や主な出来事を網羅。

📌 主なポイント

  • 長享は文明の後、延徳の前に位置する日本の元号であり、1487年から1489年までの期間を指す。
  • 当時の天皇は後土御門天皇であり、室町幕府将軍は足利義尚であった。
  • 長享2年(1488年)の加賀一向一揆により、守護の富樫政親が自刃した。
  • 元号の出典には『文選』『春秋左氏伝』『後漢書』などが採用されている。

長享(ちょうきょう)は、日本の元号の一つである。文明の後を受け、延徳の前に行われた。期間としては1487年から1489年までの3年間を指し、この時代の天皇は後土御門天皇、室町幕府将軍は足利義尚であった。

改元の背景と経緯

文明19年7月20日(ユリウス暦1487年8月9日)、度重なる戦乱や疫病などの社会不安を背景に改元が行われた。長享3年8月21日(ユリウス暦1489年9月16日)には延徳へと改元された。なお、改元後も幕府側の準備不足などの理由により、同年8月9日まで公家・武家の双方で旧年号である文明の呼称が使用されていたことが記録されている。

出典

長享の元号は、以下の古典籍の記述に由来している。

  • 『文選』の「喜得全功、長享其福」
  • 『春秋左氏伝』の「元体之長也、享嘉之会也、利義之和也、貞事之幹也」
  • 『後漢書』の「長享福祚、垂之後嗣、此万全之策也」

長享期のおきた主な出来事

長享年間には、戦国時代の動向に影響を与える重要な出来事が発生した。

  • 長享2年6月9日(1488年)加賀一向一揆において、加賀一向宗の門徒が対立関係にあった守護・富樫政親を攻め、自刃に追い込んだ。
  • 長享2年8月13日(1488年):山名政実が、浦上則宗の働きかけにより因幡守護に任じられた。
  • 長享元年(1487年):戦国武将である北条氏綱が誕生した(天文10年死去)。
  • 長享3年3月26日(1489年4月26日):室町幕府第9代将軍・足利義尚が死去した(寛正6年出生)。

よくある質問

長享はいつからいつまでの元号ですか?
1487年から1489年までの期間を指します。
長享の次の元号は何ですか?
延徳です。
長享期に起きた主な歴史的出来事は何ですか?
1488年の加賀一向一揆による富樫政親の自刃や、1489年の室町幕府第9代将軍・足利義尚の死去などが挙げられます。

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参考文献

日本歴史学会編『日本史総覧』、各種古文書・公家日記の記録に基づく。