旧制中学校の設置と変遷を規定した近代日本の法令「中学校令」

📌 主なポイント
- ✓中学校令は、明治19年(1886年)に初めて公布された近代日本の教育法令である。
- ✓第二次中学校令は1899年(明治32年)に公布され、1943年の中等学校令によって廃止されるまで効力を有した。
- ✓第二次中学校令により、各府県に対して1校以上の中学校設置が義務づけられた。
中学校令(ちゅうがっこうれい)とは、明治時代から昭和時代中期にかけて、日本における中等教育機関である中学校(いわゆる旧制中学校)の制度や運営を規定していた重要な勅令である。

歴史的背景と概要
1886年(明治19年)4月10日、当時の文部大臣であった森有礼の下で、それまでの教育令を廃止して公布された学校令の一つが「第一次中学校令」(明治19年勅令第15号)である。その後、1899年(明治32年)2月7日に全部改正されて「第二次中学校令」(明治32年勅令第28号)が公布された。この第二次中学校令は、1943年(昭和18年)に中等学校令が公布・施行されるまで、半世紀以上にわたって効力を有し続けた。
第一次中学校令
1886年(明治19年)に制定された第一次中学校令では、中学校の性質を「実業に就きたいと思う者または高等の学校に入学したいと思う者に必要な教育を行う場所」と位置づけた。当初の編制では、中学校を高等中学校と尋常中学校の2つに分けていた。
また、各府県における尋常中学校の設置については、地方費の支出や補助によるものは各府県1箇所に限るという「一府県一校設置の原則」が採られていた。その後、1891年(明治24年)の改正によって設置条件が緩和され、土地の状況に応じて複数校の設置や、全く設置しないことも認められるようになった。
第二次中学校令
1899年(明治32年)2月7日に公布された第二次中学校令では、従来の「尋常中学校」の名称が「中学校」へと改められた。目的は「男子に必要な高等普通教育を行うこと」と規定され、修業年限は5年とされた。
第二次中学校令の特徴として、各府県に対して1校以上の中学校設置が義務づけられた点が挙げられる。文部大臣が必要と認めた場合には府県に中学校の増設を命じることが可能となり、国主導による中等教育の急速な拡張が図られた。
その後の主な改正
第二次中学校令は公布後も数次にわたる改正を経ている。1907年(明治40年)の改正では、小学校令の改正に伴う義務年限の延長を受けて、入学資格が12歳以上で尋常小学校卒業者に改められた。また、1919年(大正8年)の改正では、市町村学校組合による中学校設置が認められるなど、設置主体の拡張が行われた。最終的に、1943年(昭和18年)に制定された中等学校令によって廃止された。