政治家

カーティス・ギルド・ジュニア

カーティス・ギルド・ジュニア
カーティス・ギルド・ジュニア(1860-1915)は、マサチューセッツ州知事や駐ロシアアメリカ合衆国大使を務めたアメリカの政治家です。

📌 主なポイント

  • 1860年2月2日、マサチューセッツ州ボストン生まれ。
  • 1906年から1909年まで第43代マサチューセッツ州知事を務めた。
  • 1911年から1913年まで駐ロシアアメリカ合衆国特命全権大使を務めた。

カーティス・ギルド・ジュニア(Curtis Guild Jr., 1860年2月2日 - 1915年4月6日)は、アメリカ合衆国の政治家。マサチューセッツ州副知事、第43代マサチューセッツ州知事、および駐ロシアアメリカ合衆国大使を歴任しました。

カーティス・ギルド・ジュニアの肖像
カーティス・ギルド・ジュニア

経歴

1860年、マサチューセッツ州ボストンで報道事業を営む家庭に生まれました。ハーバード大学を卒業後、父親が刊行する新聞社『コマーシャル・ブレティン(Commercial Bulletin)』で働きました。1881年にはマサチューセッツ州下院議員に選出され、政界入りを果たしました。

米西戦争の際にはマサチューセッツ州志願兵として従軍し、准将に昇格しました。キューバのハバナでは検察官としての任務も遂行しました。

公職

1903年から1906年までマサチューセッツ州副知事を務め、ジョン・L・ベイツ知事およびウィリアム・L・ダグラス知事を補佐しました。その後、1906年から1909年まで第43代マサチューセッツ州知事を務めました。

知事在任中の1907年、州会議事堂内で暗殺未遂事件に巻き込まれました。精神病院から脱走した人物が、労働組合代表のエドワード・コーエンをギルド知事本人と誤認して発砲した事件です。ギルド自身に被害はありませんでした。

カーティス・ギルドの署名
カーティス・ギルドの署名

晩年

知事退任後、ギルドは共和党の副大統領候補を目指しましたが、予備選挙で敗退しました。その後、1911年から1913年まで駐ロシアアメリカ合衆国特命全権大使を務めました。1915年4月6日に死去し、ボストンのフォレスト・ヒル墓地に埋葬されました。

よくある質問

カーティス・ギルド・ジュニアはいつ知事を務めましたか?
1906年1月4日から1909年1月7日までマサチューセッツ州知事を務めました。
カーティス・ギルド・ジュニアの駐ロシア大使としての任期はいつですか?
1911年8月17日から1913年4月24日まで務めました。

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マサチューセッツ州知事米西戦争駐ロシアアメリカ合衆国大使

参考文献

Governors of Massachusetts - Curtis Guild, Jr. (Mass.gov)
U.S. Department of State - Chiefs of Mission for Russia