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ダド・マリノ - 第16代世界フライ級王者・プロボクサー

ダド・マリノ - 第16代世界フライ級王者・プロボクサー
アメリカ出身のプロボクサーで第16代世界フライ級王者ダド・マリノの生涯、白井義男との4度の対戦、マネージャーであるサッド・サム・イチノセとの関係を解説する百科事典記事。

📌 主なポイント

  • ダド・マリノの本名はサルヴァドール・マリノ(Salvador "Dado" Marino)。
  • 1950年8月1日に第16代世界フライ級王座を獲得した。
  • 日本初の世界王者となった白井義男と現役時代に4度対戦した。
  • マネージャーとしてサッド・サム・イチノセがついていた。

ダド・マリノ(本名:サルヴァドール・マリノ、Salvador "Dado" Marino、1915年10月15日 - 1989年10月28日)は、アメリカ合衆国・ハワイ州ホノルル出身のプロボクサー。第16代世界フライ級王者。

生涯とボクシングキャリア

ハワイ州ホノルルに生まれ、オーソドックススタイルを特長とするファイターとして活躍した。1940年にはアマチュア選手として来日した経験を持つ。第二次世界大戦後の1950年8月1日に世界フライ級王者となり、その後日本のボクシング界の歴史において重要な役割を果たすことになった。

日本でのダド・マリノ(1952年5月撮影)
1952年5月、日本でのダド・マリノ

白井義男との4度の対戦

ダド・マリノは、日本初の世界王者となった白井義男との間で4度にわたる対戦を行ったことで知られている。

  • 1951年5月21日:世界フライ級王者として来日し、当時日本のホープであった白井義男とノンタイトル10回戦を行い、判定勝ちを収めた。
  • 1951年12月4日:地元ハワイのホノルルで行われた白井との再戦では、7回TKO負けを喫した。
  • 1952年5月19日:日本の後楽園球場にて、白井を挑戦者として迎えて世界タイトルマッチを行い、15回判定負けを喫して王座を失った。
  • 1952年11月15日:白井の初防衛戦の相手として再びリングに上がり、この時も15回判定で敗北した。

周辺人物とマネージャー

マリノのキャリアには、ハワイのボクシング界で影響力を持った「サッド・サム・イチノセ」がマネージャーとして深く関わっていた。戦後間もない日本において、外国とのコネクションや外貨が不足する中、イチノセの存在が白井戦の実現を可能にしたとされる。

よくある質問

ダド・マリノの出身地はどこですか?
アメリカ合衆国のハワイ州ホノルルです。
白井義男との対戦成績はどうなっていますか?
白井義男とは生涯で4度対戦し、マリノの1勝3敗という対戦成績でした。
世界フライ級王座を失った試合はどこで行われましたか?
1952年5月19日に日本の後楽園球場で行われた試合で、白井義男に15回判定負けを喫して王座を失いました。

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参考文献

  • 「フライ級王座 マリノ選手入京」『朝日新聞』昭和26年5月10日
  • 朝日新聞2012年5月21日夕刊4版 11ページ
  • 『プロ野球三国志』84頁