大大阪時代の歴史と背景

📌 主なポイント
- ✓大大阪時代は1920年代から1930年代にかけて大阪市が日本国内第一位の人口・面積・工業出荷額を誇った全盛期である。
- ✓1925年の第二次市域拡張により大阪市の人口は211万人に達し、当時の東京市を上回った。
- ✓池上四郎と關一の両市長が主導した都市計画やインフラ整備により、近代的な大都市としての基盤が築かれた。
大大阪時代(だいおおさかじだい)は、1920年代から1930年代にかけて、大阪市が「大大阪」と呼ばれ、人口・面積・工業出荷額において当時の東京市を凌ぐなど、日本国内第一位かつ世界有数の大都市へと発展した時代を指す言葉である。

発展の背景と都市の成長
明治時代、大阪市は東京に置かれた明治政府による藩債処分などの影響で一時的な打撃を受けたものの、その後は着実に発展を遂げた。20世紀に入ると、日露戦争や第一次世界大戦による軍需の高まりや国民の生活水準の向上を背景に、重工業の生産額が飛躍的に増加した。この工業の隆盛から、大阪は「煙の都」や「東洋のマンチェスター」と称されるようになった。

1923年(大正12年)9月1日に関東大震災が発生すると、東京府東京市をはじめとする関東近郊の被災者が大阪市などへ転居したことにより、人口が急増した。さらに、1925年(大正14年)4月1日の第二次市域拡張によって西成郡・東成郡の44町村全てが大阪市に編入され、面積181平方キロメートル、人口211万人となり、当時の東京市を上回る日本一の規模となった。当時は世界でも有数の人口規模を誇る都市であった。
市政を支えた歴代市長
大大阪時代の発展には、歴代の大阪市長による積極的な都市経営が大きく寄与した。第6代市長である池上四郎は、1913年の就任以降、天王寺動物園の開園や日本初となる児童相談所・公共託児所の開設などを実現し、大大阪の下地を築いた。

続いて都市計画学者でもあった関一が第7代市長に就任し、大阪城天守の再建工事着工、御堂筋の大拡幅、日本初の市立大学である大阪商科大学の設立、そして大阪市営地下鉄御堂筋線の建設など、大都市にふさわしいインフラ整備を強力に推進した。

当時の文化と近代建築
商業・紡績・鉄鋼などあらゆる産業が栄えたこの時期、文化や芸術の中心としても活気を呈し、モボ・モガと呼ばれる若者たちが街を闊歩した。また、北浜の金融街周辺や中之島などのエリアを中心に、現在にも歴史的建造物として残る多くの近代建築が建てられた。
大大阪時代前後の主な建造物
- 日本銀行大阪支店(明治15年)
- 大阪府立中之島図書館(明治37年)
- 大阪市中央公会堂(大正7年)
- 中央電気倶楽部(大正2年)
- 大阪倶楽部(大正13年)
- 大阪瓦斯ビルヂング(昭和8年)
- 大阪証券ビル市場館(昭和10年)
よくある質問
大大阪時代とはどのような時代ですか?
なぜ大阪市の人口が東京市を上回ったのですか?
大大阪時代の発展に貢献した主な市長は誰ですか?
関連記事
参考文献
- 『「大大阪時代」伝える建築』毎日新聞、2018年。
- 大阪公式観光情報『大阪まるわかり「1400年の歴史を誇る街」』大阪観光局。
- 官報号外第12号(大正12年9月12日)。
- 「温故知新 大大阪時代を歩く 第1回 ダイビル本館」大阪青年会議所、2017年。
- 「100年前『大大阪』がけん引した日本 栄光を振り返る」日本経済新聞。