大日本帝国陸軍の第13師団の歴史と編成

📌 主なポイント
- ✓第13師団は日露戦争末期の1905年4月に初めて編成された。
- ✓第二次編成は日中戦争勃発後の1937年9月に行われた。
- ✓1925年の宇垣軍縮により一度廃止されたが、日中戦争時に再編成された。
- ✓新潟県高田が主要な衛戍地となり、師団長官舎などの遺構が現存している。
第13師団(だいじゅうさんしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つである。日露戦争末期の1905年(明治38年)と、日中戦争勃発後の1937年(昭和12年)の二度にわたり編成された。

第一次編成と日露戦争・初期の沿革
日露戦争末期の1905年(明治38年)4月、日本本土の駐留師団が不足する事態を補うため、第13師団を含む4個師団が新設された。日露戦争において師団は樺太占領作戦に投入され、7月7日に樺太大泊郡深海村女麗に上陸した。北上を続けた結果、同年8月1日には現地のロシア帝国軍が降伏し、樺太全島の占領が完了した。
戦後の1906年(明治39年)には常設師団として新潟県高田町(現在の上越市)が衛戍地に定められ、高田を中心に連隊や司令部などの基幹部隊が配置された。その後、師団司令部は一時満州の遼陽へ移転したのち、高田へ帰還している。また、1920年(大正9年)にはシベリア出兵に動員され、1923年(大正12年)の関東大震災時には東京へ出動して警備や救援任務に従事した。

宇垣軍縮による廃止
大正年間に入ると、相次ぐ戦役による財政難を背景に軍縮が進められた。1925年(大正14年)に加藤高明内閣のもとで実施されたいわゆる「宇垣軍縮」により、第13師団は第15師団、第17師団、第18師団とともに廃止された。なお、高田における駐屯期間中には、のちに中華民国の指導者となる蔣介石が野戦砲兵として一時在籍したことや、オーストリア=ハンガリー帝国のテオドール・エードラー・フォン・レルヒ少佐からスキー技術が伝えられたエピソードが知られている。


第二次編成と日中戦争・太平洋戦争
日中戦争が勃発すると、1937年(昭和12年)9月9日に動員が下令され、第13師団が再編成された。第二次上海事変の増援軍として上海戦線へ赴き、南京攻略戦や徐州会戦、武漢作戦などの諸作戦に参戦した。太平洋戦争開戦後も中国戦線に残り、大陸打通作戦の湘桂作戦などに参加して広西省へ進攻した。1945年(昭和20年)に入ると戦局の変化に伴って撤退を開始し、湖南省長沙で終戦を迎えた。

よくある質問
第13師団はいつ創設されましたか?
第13師団の主な駐屯地はどこでしたか?
第13師団が一度廃止された理由は何ですか?
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参考文献
秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。