歴史
第二次日韓協約の歴史的背景と国際法上の論争

1905年に大日本帝国と大韓帝国間で締結された第二次日韓協約の歴史的経緯、内容、および国際法上の無効論争について解説します。
📌 主なポイント
- ✓1905年11月17日に大日本帝国と大韓帝国間で締結された。
- ✓この協約により大韓帝国は外交権を奪われ、事実上の保護国となった。
- ✓1965年の日韓基本条約第2条により、本協約は「もはや無効」であることが確認されている。
第二次日韓協約は、日露戦争後の1905年(明治38年)11月17日に大日本帝国と大韓帝国との間で締結された協約です。別称として「日韓保護条約」や、締結年の干支にちなんだ「乙巳(いつし)条約」とも呼ばれます。この協約により、大韓帝国は外交権を大日本帝国に接収され、事実上の保護国となりました。

締結の経緯
日露戦争において勝利した大日本帝国は、ポーツマス条約によりロシアから大韓帝国に対する優越権を承認されました。日本側は、大韓帝国が第一次日韓協約に反して他国へ密使を送るなどの行動をとったことを問題視し、より強固な統制を求めて本協約の締結を迫りました。締結交渉には、日本側から特命全権公使の林権助、大韓帝国側から外部大臣の朴斉純が臨みました。
協約の主な内容
本協約の主要な内容は以下の通りです。
- 日本政府が外務省を通じて大韓帝国の外交関係および事務を監理指揮する。
- 日本政府は、大韓帝国と他国との間に現存する条約の実行を担い、大韓帝国は日本政府の仲介なしに国際的な条約や約束を行わない。
- 大韓帝国皇帝の下に統監(Resident General)を置き、外交事項を管理させる。
- 日本政府は、大韓帝国の皇室の安寧と尊厳を維持することを保証する。

国際法上の論争と無効論
本協約の法的有効性については、日本と韓国の間で長年にわたり見解が分かれています。1965年に締結された「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」第2条において、1910年8月22日以前に締結されたすべての条約および協定は「もはや無効」であることが確認されました。
韓国側は、本協約が締結時から強迫に基づいた不法なものであり、当初から無効であると主張しています。これに対し、日本側は1965年の条約締結以降に無効となったという立場をとっています。また、学術的にも、当時の国際慣習法における「国家代表者への強迫」の事実認定や、当時の国際社会における列強の承認のあり方について、多様な議論が存在します。
よくある質問
第二次日韓協約は別名で何と呼ばれますか?
日韓保護条約、乙巳条約、乙巳五条約などと呼ばれます。
この協約は現在有効ですか?
1965年の日韓基本条約により、もはや無効であることが確認されています。
なぜ無効論争があるのですか?
締結時の強迫の有無や、当時の国際法上の解釈、および条約の成立過程に対する日本と韓国の歴史認識の相違が主な理由です。
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参考文献
- 日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(1965年)
- 原田環「第二次日韓協約調印と大韓帝国皇帝高宗」青丘学術論集24, 2004年
- 海野福寿編『日韓協約と韓国併合』明石書店, 1995年
- 坂元茂樹「日韓保護条約の効力」『関西大学法学論集』第44巻4・5合併号, 1995年