ダンスホールと歴史的展開

📌 主なポイント
- ✓ダンスホールとは、ダンスを楽しむための場所や、その店舗を提供する施設を指す。
- ✓日本の営業ダンスホールは、1918年(大正7年)に花月園(横浜市鶴見区)に開設されたものが最初である。
- ✓戦前・戦中には警視庁による厳しい取締りやダンス禁止令が出され、一時は閉鎖に追い込まれた。
ダンスホール(Dance hall)とは、ダンスを楽しむための場所、またはその場所を提供する店舗を指す。ダンス教室やダンス練習場を兼ねている場合もある。

アメリカのダンスホール
アメリカにおける代表的なダンスホールとして、ニューヨークに存在した「サヴォイ・ボールルーム」が挙げられる。1926年から1958年まで営業し、約4000人を収容する規模を誇った。
フランスのダンスホール
フランス・パリのモンマルトルには、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックなどの画家が作品に描いた著名なダンスホール「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」が存在した。なお、同施設の建物は内装が一新され、現在はレストランとなっている。

中国のダンスホール
中国・上海においては、1932年にオープンしたアールデコ建築のダンスホール「パラマウント」がある。20世紀前半には上流階級の社交場として、極東一のダンスホールと称された。
日本のダンスホール
日本における営業ダンスホールとしては、1918年(大正7年)に花月園(現在の横浜市鶴見区)に開設されたものが最初とされる。その後、ダンスの流行に伴いダンスホールは増加し、1933年(昭和8年)には全国で約50箇所に達した。

法規制と歴史的変遷
大正から昭和戦前期にかけて、ダンスホールに対する取締りが強化された。1925年(大正14年)6月5日には警視庁が学生の入場禁止や午後10時までの時間制限を定め、1928年(昭和3年)にはダンスホール取締令を実施して18歳未満の男女を入場禁止とした。さらに1934年(昭和9年)には、未成年者、学生、生徒の出入を禁止する通牒が発出された。
戦時体制下の1940年(昭和15年)にはダンス禁止令が出され、同年10月31日をもって東京のダンスホールは閉鎖された。終戦後は駐留軍兵士向けのダンスホールが開業したものの、一般の日本人は入場できなかった。その後、1950年(昭和25年)10月に埼玉県さいたま市で戦後初のボールルーム「ルーフ・ガーデン」がオープンして以降、日本人向けのダンスホールが再び開設されていった。
昭和から現代へ
昭和時代には社交ダンスの流行とともに数多くのダンスホールが営業していたが、のちに社交ダンス人口の減少や風俗営業に関する規制の影響を受け、ダンスホールは減少傾向となった。東京都内においても、かつて存在した「東宝ダンスホール」や映画『Shall we ダンス?』の舞台モデルとなった「ダンスホール新世紀」などが知られているが、時代の変化とともに統廃合が進んでいる。
よくある質問
ダンスホールとは何ですか?
日本で最初の営業ダンスホールはどこですか?
戦時中のダンスホールはどうなりましたか?
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参考文献
- 下川耿史 家庭総合研究会 編『明治・大正家庭史年表:1868-1925』河出書房新社、2000年。
- JTB海外ガイド(サヴォイ・ボールルーム、ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレット、パラマウント)