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デイヴィッド・ロックフェラー:銀行家としての生涯と功績

デイヴィッド・ロックフェラー:銀行家としての生涯と功績
チェース・マンハッタン銀行の会長として国際金融界で活躍し、三極委員会の創設など民間外交にも尽力したデイヴィッド・ロックフェラーの生涯と功績を解説します。

📌 主なポイント

  • 1915年ニューヨーク生まれ、2017年没(101歳)。
  • チェース・マンハッタン銀行の会長兼CEOとして国際金融界を牽引した。
  • 三極委員会の創設者の一人であり、民間外交において重要な役割を果たした。
  • ロックフェラー家の第3代当主であり、ジョン・D・ロックフェラーの孫世代の最後の生存者であった。

デイヴィッド・ロックフェラー(David Rockefeller、1915年6月12日 - 2017年3月20日)は、アメリカ合衆国の銀行家、実業家、慈善家であり、ロックフェラー家の第3代当主として知られる人物です。チェース・マンハッタン・コーポレーションの会長兼最高経営責任者(CEO)を長年務め、国際金融および民間外交の分野で多大な影響力を持ちました。

生い立ちと教育

1915年、ニューヨークのマンハッタンで、ジョン・D・ロックフェラー・ジュニアとアビゲイル・アルドリッチ・ロックフェラーの間に五男一女の末っ子として生まれました。祖父は石油王として知られるジョン・D・ロックフェラーです。1936年にハーバード大学を卒業後、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)に留学し、その後シカゴ大学で経済学の博士号を取得しました。

祖父 ジョン・ロックフェラー と幼いころのデイヴィッド
祖父 ジョン・ロックフェラー と幼いころのデイヴィッド

銀行家としてのキャリア

ニューヨーク市長の秘書を務めた後、1946年にチェース・ナショナル銀行(後のチェース・マンハッタン銀行)に入行しました。1961年に会長に就任し、1969年から1981年までCEOとして同行を率いました。彼の指揮下で銀行は海外事業を大幅に拡大し、東西冷戦下においてもソ連や中国へ進出するなど、国際的な金融ネットワークを構築しました。

ジョンソン 大統領とデイヴィッド・ロックフェラー(1964年)
ジョンソン 大統領とデイヴィッド・ロックフェラー(1964年)

国際的な活動と日本との関係

ロックフェラーは民間外交にも積極的に取り組み、1973年にはズビグネフ・ブレジンスキーらと共に「三極委員会」を創設しました。日本との関わりも深く、1978年には「ジャパン・ソサエティー」の名誉会長に就任したほか、高松宮殿下記念世界文化賞の国際顧問を務めるなど、文化交流にも貢献しました。1991年には勲一等瑞宝章を受勲しています。

晩年

2017年3月20日、ニューヨーク州ポカンティコ・ヒルズの自宅にて、うっ血性心不全のため101歳で死去しました。彼はジョン・D・ロックフェラーの孫世代の中で最後の生存者でした。

よくある質問

デイヴィッド・ロックフェラーはどのような職業に就いていましたか?
銀行家および実業家として、チェース・マンハッタン銀行の会長兼CEOを務めました。
三極委員会とは何ですか?
1973年にデイヴィッド・ロックフェラーらが創設した、北米、ヨーロッパ、アジアの民間有識者による政策協議会です。
日本との関係はどのようなものがありましたか?
ジャパン・ソサエティーの名誉会長就任や、高松宮殿下記念世界文化賞の国際顧問を務めるなど、長年にわたり経済・文化面で日本と関わりを持ちました。

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参考文献

  • Kandell, Jonathan (2017年3月20日). "David Rockefeller, Philanthropist and Head of Chase Manhattan, Dies at 101". The New York Times.
  • 朝日新聞 (2017年3月21日). "ロックフェラー家当主が死去 3代目デービッドさん".
  • 日本経済新聞 (2017年3月21日). "デビッド・ロックフェラー氏死去 101歳、親日家の銀行家".