日本文学
太宰治の紀行小説『津軽』の背景と旅程

太平洋戦争末期に太宰治が故郷を巡った紀行小説『津軽』の執筆背景や旅程、作中に登場する越野タケとの再会について詳しく解説します。
📌 主なポイント
- ✓『津軽』は太宰治による紀行風小説で、1944年11月15日に小山書店より刊行された。
- ✓太平洋戦争末期の1944年5月から6月にかけて取材旅行が行われた。
- ✓作中では、かつての子守りである越野タケとの再会が描かれている。
『津軽』(つがる)は、日本の小説家・太宰治による紀行風小説である。太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)に小山書店の「新風土記叢書」の第7編として依頼を受け、同年11月15日に刊行された。死を意識した太宰が故郷を隅々まで見つめ直すために青森県の津軽半島を巡った旅をもとに執筆されており、多くの研究者によって自伝的小説としても高く評価されている。
執筆の背景と取材
1944年5月12日から6月5日にかけて、太宰は取材のために津軽地方を旅行した。当時、日本の関心は南方へと集中していたが、太宰は本州の北端である故郷へ向かった。自身の身の安全が不確実な状況の中、「いまのうちに自分の生れて育つた津輕を、よく見て置かう」という思いが執筆の動機となった。同年7月末までに原稿が完成し、小山書店より初版3,000部、定価3円で発売された。本文中には著者直筆の津軽略図および4点の挿絵が収められている。

旅程
作中の「私」(津島修治)は、久しぶりに故郷の金木町へ帰る道中、津軽各地を訪ね歩いた。主な行程は以下の通りである。
- 東京発 - 青森経由、蟹田泊(中村貞次郎宅)
- 三厩泊 - 竜飛泊 - 蟹田泊帰(中村宅)
- 金木泊(生家)
- 五所川原、木造経由、深浦泊
- 鯵ヶ沢経由、五所川原泊 - 小泊泊
- 蟹田泊(中村宅) - 東京帰着
越野タケとの再会
旅のハイライトの一つが、小泊村(現・中泊町)での越野タケ(作中では「たけ」とひらがな表記)との再会である。タケはかつて津島家に仕え、幼少期の太宰の世話をした人物であった。太宰は事前の約束なしに小泊を訪れ、国民学校の運動会に出ていたタケと四半世紀ぶりに再会を果たした。

一方で、相馬正一や長部日出雄らの研究や証言によれば、作中の描写にはフィクションも織り交ぜられており、例えば竜神様の場面や運動会の場面などでは実際には言葉を交わしていなかった部分もあることが指摘されている。小泊には現在、「小説『津軽』の像記念館」が建てられており、当時の思い出やタケの足跡を伝えている。
よくある質問
『津軽』はいつ出版されましたか?
1944年(昭和19年)11月15日に小山書店より刊行されました。
『津軽』が書かれたきっかけは何ですか?
太平洋戦争末期に死を意識した太宰治が、故郷を隅々まで見ておこうと考え、出版社からの依頼も受けて津軽半島を巡る旅に出たことがきっかけです。
作中に登場する「たけ」のモデルは誰ですか?
実在した人物である越野タケであり、かつて太宰の幼少期の子守りをしていました。
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太宰治日本の小説紀行文青森県
参考文献
『太宰治全集 7』(ちくま文庫、1989年3月28日)関井光男「解題」 / 相馬正一『評伝 太宰治 改訂版』上・下巻(津軽書房、1995年3月) / 長部日出雄『桜桃とキリスト もう一つの太宰治伝』(文藝春秋、2002年3月)