デヴィッド・W・グリフィス:映画の基礎を築いた巨匠の生涯と功績

📌 主なポイント
- ✓デヴィッド・W・グリフィスは1875年1月22日にケンタッキー州で生まれ、1948年7月23日にロサンゼルスで死去した。
- ✓『國民の創生』(1915年)や『イントレランス』(1916年)といった長編映画を監督し、モンタージュやクロスカッティングなどの映画文法を確立した。
- ✓チャールズ・チャップリンらと共に1919年にユナイテッド・アーティスツ社を創設した。
- ✓リリアン・ギッシュやメアリー・ピックフォードをはじめ、多くの名優やのちの著名映画監督を育成した。
デヴィッド・ウォーク・グリフィス(David Wark Griffith、1875年1月22日 - 1948年7月23日)は、アメリカ合衆国の映画監督、俳優、脚本家、映画製作者である。
映画における視覚的表現や編集技法の基礎を築いた人物であり、モンタージュやクロスカッティング、クローズアップといった多様な映画技術を確立・発展させ、映画を演劇の記録から独自の芸術的表現へと高めた。『國民の創生』や『イントレランス』などの監督作品は映画史における重要な古典として知られており、その功績から「映画の父」と称されている。
生涯
1875年1月22日、アメリカ合衆国ケンタッキー州ラグレーンジに生まれる。父親は南北戦争における南軍の将校であったジェイコブ・ウォーク・グリフィス大佐である。戦後の没落により、グリフィスは10歳の時に父親を亡くし、若い頃はエレベーターボーイや書店店員などの職を転々とした。
その後、地方劇団に参加して俳優としての活動を始め、1906年には女優のリンダ・アーヴィドソンと結婚した。演出家や劇作家を志して戯曲の執筆を行っていたが、金銭的行き詰まりから1907年にエジソン・スタジオのエドウィン・S・ポーターに脚本を売り込んだ。脚本は不採用となったものの俳優として採用され、映画『鷲の巣から救われて』の樵役で映画界にデビューした。
1908年、バイオグラフ社に移籍したグリフィスは、撮影技師のビリー・ビッツァーに誘われて『ドリーの冒険』で監督デビューを果たした。同社において1913年までに多数の短編映画を手がけ、映画演出の経験を積んでいった。1913年には初の長編作品『ベッスリアの女王』を製作したが、会社側の判断でお蔵入りとなり、これを契機にバイオグラフ社を退社した。
ハリウッドへ渡ったグリフィスは、1915年に『國民の創生』を発表した。本作は南部白人の視点からKu Klux Klan(KKK)の成立を描いたものであり、人種差別的な描写や表現を巡って北部などで激しい論争や上映拒否を引き起こした一方で、商業的には記録的な大ヒットを記録した。翌1916年には、複数の時代を同時並行的に描く壮大な構成の『イントレランス』を発表した。興業的には失敗に終わったものの、映画史上の重要な作品として高く評価されている。
1919年、チャールズ・チャップリン、ダグラス・フェアバンクス、メアリー・ピックフォードらと共にユナイテッド・アーティスツ社を創設し、自由な映画製作を目指した。しかし、トーキーの導入期における時代の変化や自身の制作スタイルから徐々に映画界の第一線から離れ、1931年の『苦闘』を最後に監督業から引退した。
晩年は映画界から遠ざかった生活を送り、1948年7月23日にロサンゼルスのホテルで脳溢血により死去した。
映画文法の確立
グリフィスは、固定カメラによるワンシーン・ワンショットが主流であった初期の映画において、ショット単位での撮影とそれらを結合させる編集技法を開拓した。
- モンタージュ:1つの場面を複数のショットで構成し、ショット同士の組み合わせによって劇的な効果や時間的連続性を生み出す手法を確立した。
- クロスカッティング:異なる場所で同時に起きている出来事を交互に映し出す編集法であり、絶体絶命の状況からギリギリで救出される緊迫した場面を描く「ラスト・ミニッツ・レスキュー」などの演出に多用された。
- クローズアップの活用:物語を駆動する手法としてクローズアップを効果的に取り入れ、登場人物の感情や細部を観客に伝える表現力を高めた。
これらのほかにも、移動撮影、フラッシュバック、アイリスイン・アウト、主観ショット(ポイントオブビュー)などの技法を取り入れ、映画表現の語彙を大きく拡張した。
後進の育成と映画界への影響
グリフィスの下からは、サイレント期を代表する名女優リリアン・ギッシュやメアリー・ピックフォードをはじめ、多くの才能が輩出された。また、ライオネル・バリモア、ドナルド・クリスプらの俳優のほか、エリッヒ・フォン・シュトロハイムやジョン・フォード、ラオール・ウォルシュといった後に名匠となる映画監督たちが助監督やスタッフとして彼の制作現場で経験を積んだ。
1936年にはアカデミー名誉賞を受賞し、1938年には全米監督協会賞の名誉終身会員に選出された。一方で、『國民の創生』に見られる白人優越主義的な描写や人種差別的側面は後世において厳しく批判され、全米監督協会が冠していた「D・W・グリフィス賞」は1999年に名称が廃止されるなど、その作品が孕む歴史的・政治的影響については議論が続けられている。
よくある質問
デヴィッド・W・グリフィスが「映画の父」と呼ばれる理由は何ですか?
グリフィスの代表作にはどのようなものがありますか?
グリフィスが映画界に残した技術的な功績は何ですか?
グリフィスの作品を巡る現代的な評価の課題は何ですか?
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参考文献
- デヴィッド・W・グリフィス - Britannica
- 『リリアン・ギッシュ自伝』(筑摩書房、1990年)
- 無声映画遺産とアーカイブ - 国立映画アーカイブ