日本の元号

永長 (元号)

永長は、日本の平安時代後期の元号の一つ。1096年から1097年までの期間を指し、堀河天皇の治世下で制定されました。

📌 主なポイント

  • 永長は1096年から1097年まで使用された日本の元号である。
  • 元号の出典は『後漢書』光武帝紀の一節である。
  • この時期に流行した「永長の大田楽」は、媞子内親王の急死をきっかけに終息した。

永長(えいちょう)は、日本の元号の一つ。嘉保の後、承徳の前にあたり、1096年から1097年までの期間を指す。この時代の天皇は堀河天皇である。

改元

嘉保3年12月17日(ユリウス暦1097年1月3日)、天変および地震を理由として改元が行われた。その後、永長2年11月21日(ユリウス暦1097年12月27日)に承徳へと改元された。

由来

元号の出典は『後漢書』巻一・光武帝紀にある「夾輔王室、尊事天子、享国永長、為後世法」という一節に由来する。勘申者は権中納言であった大江匡房が務めた。

永長期の出来事

永長期には、庶民から貴族階級まで広く流行した「永長の大田楽」が特筆される。しかし、1096年(永長元年)8月7日に田楽を好んでいた媞子内親王が急死したことで、その父である白河上皇が大きな衝撃を受け出家した。この出来事を契機として、田楽ブームは急速に沈静化した。

西暦との対照表

永長元年(丙子)一月二月※三月※四月五月※六月※七月八月※九月十月十一月十二月※
ユリウス暦1096/1/282/273/274/255/256/237/228/219/1910/1911/1812/18
永長二年(丁丑)一月閏一月二月※三月※四月五月※六月※七月八月※九月十月十一月十二月※
ユリウス暦1097/1/162/153/174/155/146/137/128/109/910/811/712/71098/1/6

※は小の月を示す。

よくある質問

永長という元号はいつからいつまでですか?
1096年から1097年までの期間です。
永長への改元の理由は?
天変および地震が理由とされています。

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参考文献

『後漢書』巻一 光武帝紀