日本の元号
延文
日本の南北朝時代に北朝方で使用された元号(1356年〜1361年)。改元背景、主な出来事、西暦との対照表について解説します。
📌 主なポイント
- ✓延文は日本の南北朝時代、北朝方で使用された元号である。
- ✓使用期間は1356年から1361年まで。
- ✓典拠は『漢書』儒林伝の記述に基づく。
- ✓室町幕府初代将軍の足利尊氏が延文3年(1358年)に死去した。
延文(えんぶん、旧字体: 延󠄂文󠄁)は、日本の南北朝時代の元号の一つである。北朝方にて使用された。文和の後、康安の前。1356年から1361年までの期間を指す。この時代の天皇は、北朝方が後光厳天皇、南朝方が後村上天皇であり、室町幕府の将軍は足利尊氏および足利義詮であった。
改元
- 文和5年3月28日(ユリウス暦1356年4月29日): 兵革による改元
- 延文6年3月29日(ユリウス暦1361年5月4日): 康安に改元
出典
『漢書』儒林伝の「延文学儒者数百人」に由来する。
延文期におきた主な出来事
延文年間には、室町幕府の体制固めや南北朝間の抗争に関連する様々な出来事が発生した。主な動静は以下の通りである。
- 延文元年(1356年):10月に新田義興が武蔵国矢口渡で謀殺され、細川清氏が室町幕府執事となる。12月には足利義詮が征夷大将軍に任命される。
- 延文2年(1357年):4月に九州で少弐頼尚が北朝方に帰服する。11月には関東執事(関東管領)の畠山国清が鎌倉から上洛し、12月には義詮とともに南朝征討に加わる。
- 延文3年(1358年):5月に仁木義長が幕政から失脚し、その後南朝方へ属する。細川清氏らが河内国赤坂城で楠木正儀軍を撃破する。また、初代将軍・足利尊氏が死去した。
おもな死去
延文期に死去した主な人物には以下が挙げられる。
- 賢俊(享年59、延文2年7月)
- 文観(享年80、延文2年10月)
- 足利尊氏(享年54、延文3年4月)
- 新田義興(延文3年10月)
- 洞院公賢(延文5年4月)
- 阿野廉子(後醍醐天皇妃、享年59)
よくある質問
延文はいつからいつまでの元号ですか?
1356年から1361年までの期間です。
延文の元号はどちらの朝廷で使用されましたか?
南北朝時代の北朝方で使用されました。
延文の典拠となった文献は何ですか?
『漢書』儒林伝の「延文学儒者数百人」が出典とされています。
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文和康安足利尊氏足利義詮後光厳天皇後村上天皇
参考文献
平泉澄ほか編『日本史年表』および各種史料集に拠る。