日本の元号

延元:日本の南北朝時代における南朝の元号

日本の南北朝時代、南朝方で使用された元号「延元」の歴史、改元の背景、年間の主な出来事や対照表について解説します。

📌 主なポイント

  • 延元は日本の南北朝時代に南朝方で使用された元号である。
  • 使用期間は1336年から1340年までで、建武の後、興国の前に位置する。
  • 元号の出典は中国の史書『梁書』である。
  • 延元年間に後醍醐天皇が吉野へ逃れ、南朝を開いた。

延元(えんげん、旧字体: 延󠄂元)は、日本の南北朝時代に使用された元号の一つである。南朝方で使用され、建武の後、興国の前に位置する。対象期間は1336年から1340年までであり、当時の天皇は南朝方が後醍醐天皇および後村上天皇、北朝方が光明天皇であった。室町幕府の将軍としては足利尊氏が挙げられる。

改元と由来

建武3年2月29日(ユリウス暦1336年4月11日)、兵革(建武の乱)を理由として改元が行われた。その後、延元5年4月28日(ユリウス暦1340年5月25日)に興国へと改元された。元号の出典は『梁書』の記述「聖徳所被、上自蒼蒼、下延元元」に由来しており、勘申者は式部大輔の菅原長員(高辻長員)である。

延元年間のおもな出来事

延元年間は、日本の南北朝の分裂が決定づけられ、全国各地で激しい戦乱が繰り広げられた時期である。主な出来事としては以下が挙げられる。

  • 1336年(元年):湊川の戦いが発生。足利尊氏が光明天皇を擁立し、『建武式目』を制定して幕府を開いた。また、後醍醐天皇が京都を脱出して吉野へ逃れ、南朝を開いた。
  • 金ヶ崎城の落城:越前国において金ヶ崎城が落城した。
  • 主要人物の敗死:新田義貞や北畠顕家らが敗死した。
  • 北畠親房の動向:北畠親房が義良親王(後の後村上天皇)や宗良親王を奉じて東国へ向かう途中、嵐に遭い関東に漂泊した。

延元年間の主な薨去・死去

戦乱の時代を反映し、延元年間に多くの重要な人物や皇族が死去している。

  • 元年(1336年):名和長年、結城親光、千種忠顕、楠木正成、楠木正季、後伏見天皇
  • 3年(1338年):吉田定房、恒良親王、新田義貞、北畠顕家
  • 4年(1339年):後醍醐天皇

西暦との対照表

延元元年2年3年4年5年
西暦1336年1337年1338年1339年1340年
北朝元号建武3年建武4年暦応元年暦応2年暦応3年
干支丙子丁丑戊寅己卯庚辰

よくある質問

延元とは何の元号ですか?
日本の南北朝時代において、南朝方で使用された元号の一つです。期間は1336年から1340年までです。
延元の元号の由来は何ですか?
中国の歴史書である『梁書』の「聖徳所被、上自蒼蒼、下延元元」という記述に由来しています。
延元が使用されていた当時の北朝の元号は何ですか?
建武3年および4年、および暦応元年(1338年)から暦応3年(1340年)までが北朝の対応する元号です。

関連記事

建武興国南朝後醍醐天皇足利尊氏湊川の戦い

参考文献

日本史史料および各種元号研究資料に基づく。