日本の元号
延享 (元号)

延享(えんきょう)は、日本の元号の一つで、1744年から1748年までの期間を指します。桜町天皇および桃園天皇の時代にあたり、江戸幕府の将軍は徳川吉宗から徳川家重へと引き継がれました。
📌 主なポイント
- ✓延享は1744年から1748年まで続いた日本の元号である。
- ✓改元の理由は、讖緯説に基づく甲子革令によるものである。
- ✓この期間中に徳川吉宗が将軍職を辞し、徳川家重が第9代将軍となった。
- ✓人形浄瑠璃の代表作である『菅原伝授手習鑑』や『義経千本桜』がこの時期に上演された。
延享(えんきょう)は、日本の元号の一つ。寛保の後、寛延の前にあたり、1744年から1748年までの期間を指す。この時代の天皇は桜町天皇および桃園天皇であり、江戸幕府の将軍は徳川吉宗から徳川家重へと交代した時期にあたる。
改元
寛保4年2月21日(1744年4月3日)、讖緯説に基づく甲子革令に当たるため改元が行われた。改元の際、幕府には7つの案が提示され、そのうち「天明」「延享」「宝暦」が推挙された。幕府は「延享」を第一候補として選定し、これに従って改元が実施された。
延享年間の主な出来事
延享年間は、人形浄瑠璃が最盛期を迎えた時期として知られる。三大名作のうち『菅原伝授手習鑑』と『義経千本桜』の2作がこの期間に上演された。一方で、延享4年頃から寛延年間にかけては、全国的に百姓一揆や打ちこわしが頻発する社会情勢であった。
また、この時期には医学や技術面での動きも見られた。長崎では杭州出身の李仁山が人痘法を実践し、奉行の依頼により種痘法が実施された記録が残っている。
改元の出典
元号の出典は、『芸文類聚』の「聖主寿延、享祚元吉」から採られた。
よくある質問
延享はいつからいつまでですか?
1744年から1748年までの期間です。
延享の出典は何ですか?
『芸文類聚』の「聖主寿延、享祚元吉」から採られています。
延享の期間中に将軍は誰でしたか?
徳川吉宗と徳川家重の時代です。
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寛保寛延徳川吉宗徳川家重桜町天皇桃園天皇
参考文献
- 久保貴子「改元にみる朝幕関係」『近世の朝廷運営-朝幕関係の展開-』(岩田書院、1998年)
- 遠藤元男『近世の災害と社会』(2017年)
- 山本博文『徳川吉宗の改革』(2007年)
- 酒井シヅ「日本における人痘接種の意義」『日本醫史學雜誌』第60巻第2号(2014年)