円太郎バス:関東大震災後の東京を支えた応急バス

📌 主なポイント
- ✓円太郎バスは1923年の関東大震災後、東京市が路面電車の代替として導入した。
- ✓フォード・モデルTTのシャーシをベースに、国内で簡易車体を架装して製造された。
- ✓2020年に自動車として初めて国の重要文化財に指定された。
円太郎バス(えんたろうバス)は、1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災により壊滅的な被害を受けた東京の市内交通網を補完するため、東京市が緊急導入した乗合自動車である。都営バスの歴史における源流として知られている。
導入の背景と開発
震災により、当時の市民の主要な移動手段であった路面電車網が寸断され、復旧の見通しが立たない状況となった。東京市電気局は代替交通機関としてバスの導入を急務とし、当時大量生産されていたアメリカ・フォード社のトラック「フォード・モデルTT」のシャーシに着目した。このシャーシは、乗用車型のモデルTよりも全長が長く、低速・重量仕様に適していた。東京市は800台を発注し、国内で製造した簡易的な車体を架装する手法で急造された。

名称の由来
「円太郎バス」という名称は通称である。腰高なトラックシャーシに簡易な車体を載せたその姿が、明治時代の乗合馬車に似ていたことから、当時の人々が「円太郎馬車」になぞらえて呼んだことに由来する。「円太郎」の名は、明治期に活躍した落語家・4代目橘家圓太郎にちなむもので、彼が寄席の出囃子として馬車の御者のラッパを吹いて登場したことが人気を博し、馬車そのものが「円太郎」と呼ばれるようになった経緯がある。

運用と発展
1924年1月から運行を開始した円太郎バスは、当初2系統でスタートし、年末までに800両が揃うと20系統にまで拡大した。フォードTTは変速機がペダル操作で扱いやすく、当時の他の自動車に比べて運転習得が容易であったことも普及を後押しした。小型車であったため車掌を乗せないワンマン運転が行われ、これは日本におけるワンマンバスの早い事例となった。その後、市民からの存続要望に応える形で、本格的な車体への改良や大型バスの導入が進み、現在の都営バスへとつながる路線バス網の基礎が築かれた。




保存と文化財指定
現存する1台は、大正末期に小石川の肢体不自由児施設「柏学園」に払い下げられ、送迎用として使用されていたため、原型を留めたまま戦後まで残った。その後、交通博物館への寄贈を経て、現在は東京都交通局が管理している。2008年には日本機械学会の「機械遺産」に認定され、2020年には自動車として初めて国の重要文化財に指定された。2026年3月には、江戸東京博物館での常設展示が発表されている。


よくある質問
なぜ「円太郎バス」と呼ばれるのですか?
円太郎バスは現在どこで見ることができますか?
円太郎バスは重要文化財ですか?
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参考文献
- 東京新聞「『円太郎バス』国重文へ 自動車で初」(2020年3月21日)
- 一般社団法人 日本機械学会「機械遺産 円太郎バス(フォードTT型)」
- 文化庁「文化審議会答申 ~国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定及び登録有形文化財(美術工芸品)の登録について~」(2020年3月19日)
- 東京都交通局「円太郎バスが江戸東京博物館に常設展示されます」(2026年3月31日)