工場法 (明治44年法律第46号)

📌 主なポイント
- ✓1911年(明治44年)3月29日に公布、1916年(大正5年)9月1日に施行された。
- ✓日本における近代的な労働法の端緒とされるが、成人男性には適用されず、年少者と女子労働者の保護が中心であった。
- ✓1947年(昭和22年)の労働基準法制定に伴い廃止された。
工場法(明治44年法律第46号)は、1911年(明治44年)に公布され、1916年(大正5年)に施行された、日本における工場労働者の保護を目的とした法律である。1947年(昭和22年)に労働基準法が施行されたことに伴い廃止された。
日本における近代的な労働法の先駆けとされるが、その制定の背景には産業発展と人的資源の保護という側面が強く、労働者の権利保障というよりは「慈悲の規則」としての性格が強かったと評価されている。

制定までの過程
政府による工場労働者保護の検討は、明治10年代から開始された。1887年(明治20年)には職工条例や職工徒弟条例の草案が作成されたが、業界からの反対や政府内の調整不足により公表には至らなかった。
日清戦争後の工業発展に伴い労働問題が深刻化すると、政府は度々法案を作成したが、財界の強い反対に直面し、廃案や提出見送りが繰り返された。1909年(明治42年)に再提出された法案も、繊維産業を中心とした深夜業禁止への反対により一度は撤回された。最終的に、深夜業禁止の猶予規定を設けるなどの修正を経て、1911年3月20日に議会を通過し、3月29日に公布された。
主な内容
適用範囲
制定当初は、原則として「常時15人以上の職工を使用する工場」が適用対象であった。1923年(大正12年)の改正により、対象は「常時10人以上」に拡大された。小規模工場は適用外とされ、多くの工場が適用除外とされたため、保護の範囲は限定的であった。
就業制限と保護
12歳未満の就業は原則禁止された。また、15歳未満の者と女子(保護職工)については、1日12時間を超える就業、深夜業、および危険・有害な業務への就業が制限された。ただし、深夜業禁止には15年間の猶予期間が設けられるなど、不徹底な面も残されていた。
扶助制度
業務上の傷病や死亡に対して、本人や遺族に対する扶助が規定された。また、1942年の施行規則改正により、結核予防を目的とした健康診断が義務付けられた。
よくある質問
工場法はいつ廃止されましたか?
工場法はすべての労働者を保護していましたか?
なぜ工場法の制定には長い時間がかかったのですか?
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参考文献
- 石井照久(1957年)『法律学全集45 労働法総論』有斐閣
- 丹野勲(2011年)「明治・大正期の工場法制定と労務管理」国際経営フォーラム22巻
- 元森絵里子(2011年)「労働力から「児童」へ:工場法成立過程からとらえ直す教育的子ども観とトランジションの成立」社会福祉学研究136号
- 濱口桂一郎「請負労働の本当の問題点は何か?」連合総研