フォッケウルフ:歴史と主な航空機
📌 主なポイント
- ✓1923年にドイツのブレーメンで設立された航空機製造会社である。
- ✓第二次世界大戦中、主力戦闘機としてFw 190シリーズを大量生産した。
- ✓戦後は合併を繰り返し、1980年にメッサーシュミット・ベルコウ・ブローム(MBB)に統合された。
フォッケウルフ航空機製造株式会社(Focke-Wulf-Flugzeugbau AG)は、かつてドイツのブレーメンに存在した航空機製造会社である。第二次世界大戦においてドイツ空軍の主力戦闘機となったFw 190の開発企業として広く知られている。
歴史
設立と初期の展開
1923年10月23日、ハインリッヒ・フォッケ、テストパイロットのゲオルク・ヴルフ、ウェルナー・ノイマンによって「ブレーメン航空機製造株式会社」として設立され、翌年1月にフォッケ=ウルフ航空機製造株式会社へと改名された。創業期には民間用航空機などを製造したものの商業的な成功には恵まれず、1927年9月29日にはゲオルク・ヴルフがテスト飛行中の事故で亡くなった。
1931年、ベルリンのアルバトロス社と合併し、同社の技術者であったクルト・タンクが技術部門の長に就任した。タンクが設計した練習機Fw 44は同社にとって最初の商業的な成功収めた機体となった。1936年には、最初の実用的なヘリコプターであるFw 61のデモンストレーション飛行が行われた。ハインリッヒ・フォッケは1937年に株主との対立から社を離れ、フォッケ・アハゲリス社を設立している。その後、タンクの設計による大西洋無着陸飛行可能な旅客機Fw 200 コンドルなども開発された。
第二次世界大戦期
1938年から設計が進められ、1941年から量産が開始されたFw 190は、第二次世界大戦後半のドイツ空軍における主力レシプロ単座戦闘機となった。また、同機から発展したモデルにはクルト・タンクの姓にちなむTa 152などの制式名が与えられた。
ブレーメンにあった本社工場は1940年から連合軍の爆撃目標となり、生産拠点はドイツ東部やポーランドへ分散された。製造現場においては多くの外国人労働者や戦争捕虜が動員された。
第二次世界大戦後と消滅
戦後数年間、軍需産業組織の一部としてドイツ国内での航空機製造は禁止された。クルト・タンクはアルゼンチンやインドへ渡り、航空機の設計に従事した。フォッケウルフ社自体は1951年からグライダーの製造を再開し、1955年からは動力機の製造も手掛けた。
1963年にヴェーザー航空機製造有限会社と合併して合同航空技術工場(VFW)となり、旅客機製造へと転換した。VFWはその後1980年にメッサーシュミット・ベルコウ・ブローム(MBB)に吸収された。