フリードリヒ・ハーゼノール:オーストリアの理論物理学者

📌 主なポイント
- ✓1874年にウィーンで生まれ、1915年に第一次世界大戦の戦地で戦死した。
- ✓1904年に放射空洞の慣性に関する論文を発表し、電磁質量とエネルギーの関係を論じた。
- ✓恩師ボルツマンの後任としてウィーン大学の理論物理学部長を務め、シュレーディンガーらを指導した。
フリードリヒ・ハーゼノール(Friedrich Hasenöhrl、1874年11月30日 - 1915年10月7日)は、オーストリアの理論物理学者です。ウィーン大学でヨーゼフ・シュテファンやルートヴィッヒ・ボルツマンに師事し、後にライデン大学の低温研究所でヘンドリック・ローレンツのもとで研究を行いました。

研究と業績
ハーゼノールは、放射で満たされた空洞の慣性に関する研究で知られています。彼は1904年と1905年に、電磁質量によって物質の慣性が増大するという理論を発表しました。この研究において彼が導出した式は、アルベルト・アインシュタインが1905年に発表した質量とエネルギーの等価性を示す式「E=mc²」と数学的な形式が類似していました。
アインシュタインとの関連と論争
ハーゼノールが発表した電磁質量の式とアインシュタインの式との類似性は、1930年代に至るまで、アインシュタインの批判者たちによって「アインシュタインがハーゼノールの研究を盗用した」という主張の根拠として利用されることがありました。例えば、フィリップ・レーナルトは1921年に、E=mc²の先取権がハーゼノールにあると主張する論文を出版しました。
これに対し、マックス・フォン・ラウエは即座に反論を行いました。ラウエは、電磁エネルギーの慣性という概念自体は、アンリ・ポアンカレ(1900年)やマックス・アブラハム(1902年)の先行研究によって既に知られていたものであり、ハーゼノールはその計算結果を応用したに過ぎないと指摘しました。さらにラウエは、あらゆる形態のエネルギーに対する質量エネルギー等価性を確立し、その物理学的意義を相対性理論の文脈で初めて正しく理解したのはアインシュタインであると結論付けました。
晩年
1907年、ハーゼノールは自殺した恩師ボルツマンの後任としてウィーン大学の理論物理学部長に就任し、エルヴィン・シュレーディンガーら次世代の物理学者の育成に貢献しました。1914年に第一次世界大戦が勃発すると、オーストリア・ハンガリー帝国陸軍に志願し、南チロル戦線でイタリア軍との戦闘中に戦死しました。享年40歳でした。
よくある質問
ハーゼノールはアインシュタインのE=mc²を盗用したのですか?
ハーゼノールはどのように亡くなりましたか?
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参考文献
- Duden Aussprachewörterbuch (Duden Band 6), Auflage 6, ISBN 978-3-411-04066-7
- Lenard, P., J. (1921). “Vorbemerkung Lenards zu Soldners: Über die Ablenkung eines Lichtstrahls von seiner geradlinigen Bewegung durch die Attraktion eines Weltkörpers, an welchem er nahe vorbeigeht;”. Annalen der Physik 65(15): 593–604.
- Laue, M.v., M. (1921). “Erwiderung auf Hrn. Lenards Vorbemerkungen zur Soldnerschen Arbeit von 1801”. Annalen der Physik 66(20): 283–284.