「府」という漢字の概念と歴史的変遷
📌 主なポイント
- ✓「府」の漢字の原意は、古代中国における官物や財貨を収蔵した蔵である。
- ✓中国の唐代から清代にかけては、県の上に置かれる行政区画として「府」が使用された。
- ✓日本では古代の律令制における大宰府や国府をはじめ、幕府や近代の行政区画に至るまで多様な意味で受容された。
- ✓昭和18年(1943年)の東京都制施行以降、日本の行政区画における「府」は京都府と大阪府の2つとなっている。
「府」という漢字は、古代中国における語源や原意を出発点として、政治、軍事、行政区画、そして建築や官庁の名称に至るまで、極めて多様な文脈で用いられてきた歴史を持つ言葉です。日本においてもその影響は深く、古代の律令制から近代の行政区画に至るまで様々な制度や組織の名称に採用されてきました。
中国における「府」の原意と展開
中国における「府」の原意は、古代において官物や財貨を収蔵した蔵を指していました。農業が盛んで収穫が高く豊かな土地を「天府」と称したのも、この蓄財のイメージに由来しています。
やがて時代とともに意味が拡大し、政治や行政の拠点である「政庁」を指すようになります。漢代から明初にかけては、各地に王として封じられた皇族が軍事と行政の拠点として開いた政庁を「王府」と呼びました。また、唐代から宋代にかけては、軍事権と行政権を掌握した節度使の本拠地を「使府」と呼び、都や陪都として機能した大都市の副称としては「京府」が用いられました。唐代から清代にかけては、県の上位に位置する行政区画の名称としても定着しました。
日本における受容と独自の展開
日本においては、中国から伝わった「政庁」や「地区」といった概念が、独自の政治体制や歴史的変遷の中で様々な形で受容・発展しました。
統治機構・官庁・施設における名称
『日本書紀』に記されている古代朝鮮半島南部の統治機構である「任那日本府」をはじめ、九州の外交・防衛を担った「大宰府」や「鎮西府」、国衙を中心に発達した都市を指す「国府」など、古代から律令制にかけて広く用いられました。
また、中国の「政庁」の意味から統治者の概念が独立したものとして、左大臣・右大臣・内大臣の唐名である「左府」「右府」「内府」が生まれました。「幕府」はもともと律令制の近衛大将の唐名でしたが、源頼朝が右近衛大将であったことからその居所を指すようになり、のちに「将軍を頂点とする中央政府」を意味する言葉へと変化しました。
近代の行政区画の変遷
明治維新以降の近代化の過程でも「府」の字は重要な行政区画として用いられました。府藩県三治制においては幕府支配地などが「府」へと改められ、一時多くの府が設置されましたが、明治2年(1869年)の太政官布告により東京府・京都府・大阪府以外の府が県に改められ、「三府」となりました。
昭和18年(1943年)に東京府と東京市が統合されて東京都が発足したことに伴い、以降は京都府と大阪府の「二府」体制が現在まで続いています。