第一次世界大戦におけるガリポリの戦いの歴史的背景と経過

📌 主なポイント
- ✓ガリポリの戦いは1915年2月19日から1916年1月9日にかけて実施された。
- ✓連合軍の目的はオスマン帝国の首都コンスタンティノープルの占領およびロシア帝国との連絡であった。
- ✓オスマン帝国軍の頑強な抵抗により連合軍は撤退し、作戦は失敗に終わった。
- ✓オーストラリアとニュージーランドの軍団が参加し、4月25日は現在アンザック・デーとして記念されている。
ガリポリの戦いは、第一次世界大戦中の1915年2月19日から1916年1月9日にかけて、連合軍が同盟国側のオスマン帝国の首都コンスタンティノープル占領を目指し、ダーダネルス海峡の西側に位置するガリポリ半島に対して行った大規模な上陸作戦である。イギリスではダーダネルス戦役、トルコではチャナッカレの戦いとも呼ばれている。
歴史的背景
1914年に勃発した第一次世界大戦は西部戦線で膠着状態に陥り、連合国側は打開策を模索していた。また、ロシア帝国がオスマン帝国軍との戦闘で苦戦し、連合国に支援を求めたことを受け、イギリス海軍大臣ウィンストン・チャーチルの主唱によりガリポリ半島を占領する計画が立案された。コンスタンティノープルを占領することで黒海方面でロシア軍と連絡し、バルカン諸国を味方に引き入れる狙いがあった。
戦闘の経過
作戦は1915年2月の海軍による砲撃から始まったが、海峡の機雷や要塞砲により艦艇に多大な被害が出たため、連合軍は海軍力だけでの海峡制圧を断念した。同年4月25日には陸上部隊による上陸作戦が開始されたが、オットー・リーマン・フォン・ザンデルス中将率いるオスマン帝国軍の頑強な抵抗に遭い、戦線は膠着した。のちに新生トルコ共和国初代大統領となるムスタファ・ケマル・ベイらの活躍もあり、連合軍は目的を達成できず、1915年末から1916年1にかけて撤退を完了した。
影響と戦後
この戦いにより、オーストラリアやニュージーランドにとっては初の大規模な海外遠征となり、上陸記念日である4月25日現在「アンザック・デー」として国民の祝日となっている。また、オスマン帝国軍を率いたムスタファ・ケマルは国民的英雄として広く知られるようになり、後のトルコ共和国建国の素地となった。2021年には、沈没した戦艦群が眠る海域がトルコによって海中博物館として一般公開されている。
よくある質問
ガリポリの戦いはいつ起きましたか?
ガリポリの戦いの目的は何でしたか?
この戦いの結果はどうなりましたか?
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参考文献
- Erickson, Edward J. (2001). Ordered to Die: A History of the Ottoman Army in the First World War.
- AFP. 「「ガリポリの戦い」で沈没した戦艦群を一般公開 トルコの海中博物館」. 2021年10月22日.