臥薪嘗胆の歴史的由来と日本における受容
📌 主なポイント
- ✓「臥薪嘗胆」は、中国の春秋時代における呉と越の国家間の争いに由来する故事成語である。
- ✓「嘗胆」の初出は司馬遷の『史記』であるが、「臥薪嘗胆」と揃った形の初出は宋代の蘇軾の詩とされる。
- ✓日本においては、明治時代の三国干渉に対する反発とロシアへの報復を掲げるスローガンとして広く流行した。
臥薪嘗胆(がしんショウたん)とは、将来の目的を成し遂げるために、長い苦労や屈辱に耐え忍ぶことを意味する中国の故事成語である。紀元前5世紀の中国・春秋時代における、呉と越の国家間の争いに由来している。
語源となった呉越の戦い
『十八史略』などの記述によると、紀元前6世紀末、呉王闔閭は越への侵攻で敗れて負傷し、その傷がもとで没した。闔閭は後継者である子の夫差に対し、仇を取るよう遺言を残した。夫差は軍備を充実させ、薪の上に伏すことでその屈辱を忘れないようにしたとされる(これが「臥薪」の由来とされるが、『史記』にはこの記述は存在しない)。
その後、夫差は越王勾践の軍を破り、降伏させた。勾践は夫差の馬小屋番となるなどの屈辱を味わったのち、越へ帰国した後も民衆と共に富国強兵に努め、苦い胆(きも)を嘗めることで敗戦の屈辱を心に刻み続けた(これが「嘗胆」の由来である)。やがて国力を疲弊させた呉に対し、越王勾践は攻め込み、呉を滅ぼした。
成語の成立過程
「嘗胆」という言葉自体は、紀元前1世紀の歴史書である司馬遷の『史記』(巻41・越王勾践世家)に確認できるが、当初は「臥薪」とは別々に使われていた。「臥薪」の語も、『晋書』や『梁書』などで単独で使われる例があった。
「臥薪嘗胆」と二つの語が連なった形で確認できるのは、12世紀から13世紀の宋代における蘇軾の詩『擬孫権答曹操書』中の句「僕受遺以来 臥薪嘗胆」である。その後、13世紀後半の『朱子語類』や胡三省による『資治通鑑』の注釈などに見られるようになり、元代以降の通俗書を通じて広く知られるようになった。
日本における流行と受容
近代の日本においては、日清戦争後の下関条約締結に際して発生した三国干渉が大きな転換点となった。清国から日本へ割譲されるはずであった遼東半島の返還をロシア・ドイツ・フランスが要求し、日本政府がこれに屈したことに対し、多くの国民が反発した。
1895年(明治28年)5月に遼東半島還付の詔勅が出されると、『東京朝日新聞』などのメディアも「胆を嘗め薪に坐して大いに実力を培養する」必要性を説き、この言葉が国民の間に急速に広がった。この標語は、政府が軍事力強化に向けた増税や公債発行への協力を国民に求めるためのスとしても機能し、ロシアへの報復意識を醸成する役割を果たした。
よくある質問
臥薪嘗胆とはどのような意味ですか?
臥薪嘗胆の由来となった歴史的事件は何ですか?
日本で「臥薪嘗胆」という言葉が広く使われるようになったきっかけは何ですか?
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参考文献
- コトバンク. 『臥薪嘗胆(ガシンショウタン)とは? 意味や使い方』. 朝日新聞社ほか.