日本の元号
元中 (元号)
元中は、日本の南北朝時代に南朝で使用された元号。1384年から1392年まで続き、南北朝合一まで南朝勢力下で用いられました。
📌 主なポイント
- ✓元中は南北朝時代の南朝における最後の元号である。
- ✓1384年から1392年まで使用され、南北朝合一により明徳に統一された。
- ✓合一後も九州や東国の一部勢力では元中18年(1401年)まで独自に使用され続けた。
元中(げんちゅう)は、日本の南北朝時代に南朝で使用された元号の一つです。1384年から1392年までの期間を指し、南朝における最後の元号となりました。
概要
元中は、弘和に続く南朝の元号として1384年(弘和4年)4月28日に改元されました。この改元は、後亀山天皇の即位および甲子革令に基づくものとされています。当時の南朝は後亀山天皇が統治し、北朝は後小松天皇、室町幕府の将軍は足利義満という情勢でした。
1392年(元中9年)閏10月5日、南北朝合一に伴い、南朝の元号は廃止され、北朝の元号である「明徳」に統一されました。
元号の廃止とその後
南北朝合一により公式には「明徳」へ統一されましたが、九州の征西府や東国の一部勢力の間では、その後も「元中」の年号が継続して使用されました。現存する古文書には、元中10年(1393年)から元中18年(1401年)までの年紀を持つものが確認されており、中央政府の統制が及ばない地域や勢力において、南朝の正統性を主張する象徴として機能していたことがうかがえます。
出典
元中の出典や勘申者は不詳です。一説には『易経』彖伝上の「黄裳元吉、文在中也」に由来するとされています。
よくある質問
元中はいつからいつまで使われましたか?
1384年(弘和4年)から1392年(元中9年)まで使用されました。
なぜ南北朝合一後も元中が使われたのですか?
九州の征西府や東国の新田氏系勢力など、中央の南北朝合一を認めない、あるいは南朝の正統性を保持しようとする勢力の間で、象徴的に使用され続けました。
元中の出典は何ですか?
出典は不詳ですが、『易経』の記述が由来であるとする説があります。
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参考文献
- 『南方紀伝』
- 『続史愚抄』
- 長野県立歴史館所蔵『元中14年7月5日付某宛行状』