日本の元号

元治 - 幕末の日本の元号(1864年-1865年)

元治(げんぢ)は、日本の元号の一つ。文久の後、慶応の前で、1864年から1865年までの期間を指します。改元の経緯や主な出来事について解説します。

📌 主なポイント

  • 元治は文久の後、慶応の前の元号であり、1864年から1865年までの期間に用いられた。
  • 改元の当初、朝廷は「令徳」を第一候補として希望していたが、幕府側の議論を経て「元治」に変更された。
  • 元治年間には、池田屋事件や禁門の変など、幕末の動乱期における重要な事件が多数発生した。

元治(げんぢ、旧字体: 元治)は、日本の元号の一つ。文久の後、慶応の前。大化以降226番目、242個目の元号である。使用期間は1864年から1865年までの期間で、この時代の天皇は孝明天皇、江戸幕府将軍は徳川家茂であった。

改元の経緯

文久4年2月20日(グレゴリオ暦1864年3月27日)、讖緯説に基づく甲子革令の年に当たるため改元された。元治2年4月7日(グレゴリオ暦1865年5月1日)に慶応に改元されている。

改元の議論は前年11月から始まっており、将軍徳川家茂の上洛と時期が重なっていた。愛知学院大学教授の後藤致人の研究によると、朝廷は当初「令徳」を第一候補として希望し、次案として「元治」を提案していた。松平慶永(春嶽)の『逸事史補』によれば、公家の二条斉敬から幕府に相談された書付には「令徳」の第一候補に印がつけられていたという。

これを見た幕府の高官の間では、「令徳とは『徳川に令する』という意味ではないか」「元治とは元にて治る、つまり王代(天皇親政の世)にしようとの意味ではないか」といった議論や反対意見が二条城の老中部屋で交わされた。大老格であった松平春嶽は、反対する老中に対して「天下の政権は元々皇室にあるのであり、幕府は元々覇府である」と述べた上で、「令」の字は従来の元号に用いられた例に当てはまらないとして「元治」の方が穏当であるとの意見を述べた。一橋慶喜や老中も春嶽の意見に同調し、春嶽は二条斉敬や中川宮へも働きかけて了解を得た。最終的に朝廷も「元治」で同意し、この元号が採用されることとなった。

出典

元号の出典は、『周易』の「乾元用九、天下治也」および『三国志』高柔伝の高柔の上奏文「天地以四時成功、元首以輔弼興治」に基づく。勘申者は文章博士の五条為栄が務めた。

元治年間の主な出来事

  • 元治元年3月:水戸天狗党挙兵
  • 元治元年6月5日(1864年7月8日):池田屋事件
  • 元治元年7月19日(1864年8月20日):禁門の変
  • 元治元年8月5日(1864年9月5日):四国連合艦隊下関砲撃事件
  • 元治元年12月15日(1865年1月12日):功山寺挙兵

元治年間に誕生した主な人物

  • 田中義一(第26代内閣総理大臣) - 元年生まれ
  • 明石元二郎(第7代台湾総督、陸軍大将) - 元年生まれ
  • 池田菊苗(化学者、L-グルタミン酸ナトリウムの発見者) - 元年生まれ
  • 津田梅子(教育者、女子英學塾創立者) - 元年生まれ
  • 山下義韶(柔道家) - 2年生まれ
  • 小川正孝(化学者) - 2年生まれ

元治年間に死去した主な人物

  • 堀田正睦(下総国佐倉藩主) - 元年死去
  • 宮部鼎蔵(熊本藩士) - 元年死去
  • 久坂玄瑞(長州藩士) - 元年死去
  • 真木保臣(久留米藩士) - 元年死去
  • 歌川国貞(浮世絵師) - 元年死去

よくある質問

元治はいつからいつまでの期間ですか?
1864年から1865年までの期間です。文久のあとを受け、慶応の前に位置する元号です。
元治に改元された理由は何ですか?
讖緯説に基づく甲子革令の年に当たるため、文久4年2月20日に改元が行われました。
元治の由来となった古典は何ですか?
『周易』の「乾元用九、天下治也」および『三国志』高柔伝の高柔の上奏文などを典拠としています。

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参考文献

【iRONNA発】改元 幻の幕末元号「令徳」の衝撃 後藤致人氏(産経新聞) / 久保貴子「改元にみる朝幕関係」『近世の朝廷運営-朝幕関係の展開-』(岩田書院、1998年)