日本の元号

元仁(日本)

元仁(げんにん)は、日本の元号の一つ。1224年から1225年までの期間を指し、後堀河天皇の治世下で行われた改元について解説します。

📌 主なポイント

  • 元仁は1224年から1225年まで使用された日本の元号である。
  • 改元の理由は天変炎旱によるものとされる。
  • 撰進者は菅原為長であり、出典は『周易』の「元亨利貞」である。

元仁(げんにん)は、日本の元号の一つ。貞応の後、嘉禄の前。1224年から1225年までの期間を指す。この時代の天皇は後堀河天皇であり、鎌倉幕府においては北条泰時が執権を務めていた。

改元

貞応3年11月20日(ユリウス暦1224年12月31日)、天変炎旱を理由として改元が行われた。その後、元仁2年4月20日(ユリウス暦1225年5月28日)に嘉禄へと改元された。

出典

元号の出典は『周易』の「元亨利貞」に基づく。当時の記録である『吾妻鏡』の貞応3年12月4日条には、改元の撰進者は菅原為長であると記されている。京都で発せられた改元の詔書が鎌倉に到着するまでには当時10日前後を要しており、これを受けて幕府が改元遵行の命令を下すという手続きがとられていた。

元仁期におきた出来事

元仁の期間中には、鎌倉幕府の体制に関わる重要な出来事が発生した。1224年(元仁元年)6月13日に北条義時が死去し、同月28日には北条泰時が第3代執権に就任した。また、7月には伊賀氏事件が発生している。

よくある質問

元仁の期間はいつからいつまでですか?
1224年から1225年までの期間です。
元仁の改元の理由は?
天変炎旱(天変地異や日照り)を理由として改元されました。
元仁の撰進者は誰ですか?
菅原為長が撰進者とされています。

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参考文献

  • 北爪真佐夫「元号と武家」『札幌学院大学人文学会紀要』第68巻、2000年9月、1-32頁。
  • 北爪真佐夫『文士と御家人 : 中世国家と幕府の吏僚』青史出版、2002年。