日本の歴史
明治初期の立法機関:元老院の歴史と役割

明治初期に設置された日本の立法機関「元老院」の歴史、職制、国憲草案の起草、および帝国議会開設に伴う廃止までの経緯について解説します。
📌 主なポイント
- ✓元老院は1875年(明治8年)4月25日に左院に代わる立法機関として設置された。
- ✓1876年に下された勅命に基づき、国憲草案が2度作成されたが採用されなかった。
- ✓1890年(明治23年)10月20日、帝国議会の開設に伴い廃止された。
元老院(げんろういん)は、明治初期の日本において設置された立法機関である。新法の制定や旧法の改定などを担当することとされていたが、議案は天皇の命令として正院(後に内閣)から下付され、緊急を要する場合には事後承認を行うのみにとどまるなど、権限は限られていた。構成員は「元老院議官」と称された。

1875年(明治8年)に開催された大阪会議での合意を受け、続いて出された立憲政体の詔書によって同年4月25日に左院に代わる形で設置された。当初は定員無制限であったが、財政上の都合などから同年11月25日に職制が改正され、正副議長各1名とその他の議官28名などの体制が整えられた。議事堂は東京・丸の内に建設され、1875年12月に竣工した。

国憲草案の起草と活動
1876年(明治9年)9月8日には、岩倉具視の要請を受けた有栖川宮熾仁親王が議長に就任していた時期に、国憲(憲法)草案起草の勅命が下された。これに基づき2度の「国憲草案」が作成されたものの、正院側からは採用されなかった。また、時期によっては議論の低調さが指摘されることもあった。

廃止と評価
1880年以降は、知事や政府高官経験者が次の役職を得るまでの待機ポストとしての色彩を強めるようになり、廃止時には定員が91名にまで増加した。その後、1890年(明治23年)10月20日の帝国議会開設に伴い元老院は廃止され、元議官らは貴族院議員へ転身するか、麝香間祗候や錦鶏間祗候などの名誉職を与えられた。











よくある質問
元老院はいつ設置されましたか?
1875年(明治8年)4月25日に設置されました。
元老院はなぜ廃止されたのですか?
1890年(明治23年)の帝国議会開設に伴い、その役割を終えたため廃止されました。
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左院帝国議会貴族院太政官制大阪会議
参考文献
- 明治23年10月20日『官報』号外。
- 立憲政体の詔書御布告案 - 国立公文書館デジタルアーカイブ。
- 元老院議事堂 - 日本建築学会所蔵データベース。