銀目廃止令の概要と明治初期の経済への影響

📌 主なポイント
- ✓銀目廃止令は1868年(慶応4年)5月9日に発布された。
- ✓丁銀および豆板銀の通用を停止し、銀目による貸借を金貨または銭貨へ換算することを命じた。
- ✓この法令により、大坂の両替商が発行していた手形の流通が混乱し、多くの両替商が休廃業に追い込まれた。
- ✓換算相場を巡り、債務者である大名家と債権者である商人の間で利害が対立した。
銀目廃止令(ぎんめはいしれい)は、明治元年(1868年)5月9日に明治政府によって発布された法令である。銀目停止令とも呼ばれ、江戸時代から続いていた秤量貨幣である丁銀や豆板銀の通用を停止し、銀目(銀の量目による価額表示)による貸借関係を金貨または銭貨の相場に換算して書き換えることを命じたものである。

背景と目的
江戸時代、日本国内では金・銀・銭の三貨制度が併用されており、特に西日本では銀貨の重量で価値を測る「銀目」が計算単位として広く普及していた。しかし、幕末から明治維新にかけての混乱期において、政府は複雑な幣制を整理し、金属通貨の計数貨幣化および金貨への統一を目指した。
この法令の発布目的には諸説ある。主なものとして、政府による太政官札の発行を円滑に進めるために、大坂の両替商が発行していた私札(手形)の流通を抑制すること、および三貨制度の複雑さを解消することが挙げられる。また、新政府が大阪の豪商に対して課した「会計基立金」への協力が不十分であったことに対する意趣返しという説も存在する。
経済社会への影響
銀目廃止令の実施は、当時の信用ネットワークに大きな混乱をもたらした。大坂の経済界では、商人たちが両替商に現金を預け、その代わりに発行される預り手形が兌換紙幣のように流通していた。銀目による取引が禁止されたことで、手形の流通も無効となり、商人たちが両替商に殺到して取り付け騒ぎが発生した。これにより、大手を中心に約40軒の両替商が休廃業に追い込まれた。
また、換算基準を巡る問題も生じた。当初、政府は「1両=219匁」という銀安金高の相場を基準としたため、銀目で多額の借金をしていた大名家にとっては債務が大幅に軽減される一方、債権者である商人側には多大な損失が生じた。このため、政府は後に証文作成時の相場を考慮するなどの妥協を余儀なくされた。
評価と研究
銀目廃止令の影響については、近年の研究において再評価が進んでいる。銀貨の計数化や空位化はすでに進行しており、貨幣制度そのものへの影響は限定的であったとする意見もある。また、大阪の両替商に決定的な打撃を与えたのは、明治5年(1872年)の国立銀行条例による預手形の発行禁止であるとする指摘もなされている。
よくある質問
銀目廃止令とは何ですか?
なぜ銀目廃止令が発布されたのですか?
この法令は経済にどのような影響を与えましたか?
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参考文献
- 浅古弘・伊藤孝夫・植田信廣・神保文夫編『日本法制史』青林書院、2010年。
- 石井里枝・橋口勝利編著『日本経済史』ミネルヴァ書房、2017年。
- 桜井英治・中西聡編『流通経済史 新体系日本史12』山川出版社、2002年。
- 高木久史『通貨の日本史』中公新書、2016年。
- 渡辺房男『お金から見た幕末維新』祥伝社新書、2010年。