国際政治における「五大国」の歴史的変遷と国際連合常任理事国

📌 主なポイント
- ✓国際連合の常任理事国であるアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の5カ国は一般に「五大国」と呼ばれる。
- ✓国連憲章第5章第23条には、安全保障理事会の常任理事国となる5カ国が規定されている。
- ✓歴史上では、ウィーン体制下の五国同盟や国際連盟体制下の主要国など、時代ごとに異なる国家群が五大国と称されてきた。
五大国とは、ある特定の範囲や時代において、国際社会をリードする主要な5つの大国を指す言葉である。国際政治史や国際機関の枠組みにおいて、時期や文脈によってその対象は大きく変化してきた。
国連の五大国と安全保障理事会常任理事国
現代において「五大国」と言えば、一般的に第二次世界大戦の戦勝国であり、国際連合の設立に中心的役割を果たした常任理事国(Permanent 5)を指すことが多い。国連憲章第5章第23条において定められているこれら5カ国は、アメリカ合衆国、イギリス、フランス、ソビエト連邦(ソビエト連邦の崩壊後はロシアが継承)、中国(1971年に中華民国から中華人民共和国へ代表権が移行)である。
これら常任理事国の国語である英語、フランス語、ロシア語、中国語は、国際連合の公用語としても採用されている。また、核拡散防止条約においても特権的に核兵器の保有が認められているほか、軍事参謀委員会を構成する枠組みとなっている。
現在の各国の指導者と代表
国際連合安全保障理事会の常任理事国を構成する各国の指導者および国連大使の体制は以下の通りである。





歴史的な「五大国」の枠組み
「五大国」という表現は、国際連合の成立以前の国際秩序においても用いられてきた。
統一前のイタリアの都市国家
イタリアが統一される以前の歴史的文脈においては、有力な都市国家であったフィレンツェ共和国(メディチ家)、ミラノ公国、ヴェネツィア共和国、ローマ(ローマ教皇領)、ナポリ王国の5つを指して五大国と呼ぶことがあった。
ウィーン体制下の五国同盟
ナポレオン戦争終結後のウィーン体制下においては、1818年に四国同盟から発展した五国同盟の加盟国であるイギリス、フランス王国、オーストリア帝国、プロイセン王国、ロシア帝国の5カ国が列強の「五大国」とみなされた。
国際連盟体制下
第一次世界大戦後のヴェルサイユ体制においては、敗戦国となったドイツやオーストリア、およびロシア革命により孤立したソビエト連邦が除外された。一方で、戦勝国となったアメリカ合衆国、大日本帝国、イタリア王国、イギリス、フランスが世界五大国と称された。ただし、アメリカ合衆国は国内の政治的承認が得られず、国際連盟には加盟しなかった。
冷戦以降の構造変化と新たな枠組み
冷戦期にはアメリカ合衆国とソビエト連邦の2大国が圧倒的な影響力を持っていたが、ソ連崩壊後は米国による一極支配の時代が続いた。しかし、その後の中国の経済成長や軍備拡大、ロシアの資源外交などを背景に、一極支配体制は相対的に変化している。また、先進国首脳会議(G5)の構想や、近年議論されているC5構想など、国際情勢の変化に伴って新たな枠組みが模索されている。