日本の史跡

飯塚伊賀七の五角堂と和時計

飯塚伊賀七の五角堂と和時計
茨城県つくば市にある江戸時代の発明家・飯塚伊賀七が設計した五角形の建築物「五角堂」と、彼が製作した和時計の歴史や特徴を解説します。

📌 主なポイント

  • ✓五角堂は江戸時代の発明家・飯塚伊賀七が設計した正五角形の建築物である。
  • ✓「五角堂と和時計」として茨城県の指定史跡となっている。
  • ✓堂内には天保4年(1833年)に製作された打穀機の部品が残されている。
  • ✓和時計は自動で時刻を報じる機能を備え、カレンダー機能も有していた。

五角堂は、茨城県つくば市谷田部に位置する五角形の建築物です。江戸時代に活躍した名主であり発明家としても知られる飯塚伊賀七によって設計されました。現在、この建物は「五角堂と和時計」の名称で茨城県の指定史跡となっています。

五角堂の外観
五角堂の外観

建築の概要

五角堂は正五角形の平面を持つ建築物で、中心部の高さは約6メートル、一辺の長さは4.7メートルです。屋根は茅葺の五角錐状になっており、内部は簡素な土間構造です。なぜ五角形という特殊な形状が採用されたのか、その建設目的については諸説ありますが、設計の難易度への挑戦や、当時の和算研究、あるいは陰陽五行説に基づく意図などが推測されています。

茨城県内における五角堂の所在地
茨城県内における五角堂の所在地

打穀機と和時計

堂内には、飯塚伊賀七が製作したとされる打穀機(米搗き機)の部品が残されています。これは綱を引いて杵を動かす仕組みで、天保4年(1833年)の刻印があることから、凶作に備えて考案されたものと考えられています。

また、五角堂と並んで史跡に指定されている「和時計」は、伊賀七が文政5年(1822年)に製作した大型の時計です。かつては敷地内の「時計堂」に収められており、自動で時刻を報じる装置を備えていました。時計の文字盤には季節ごとの調整が可能な機能やカレンダー機能が組み込まれており、当時の技術水準を示す貴重な資料です。

復元された伊賀七の和時計
復元された伊賀七の和時計

歴史的経緯

五角堂の正確な建築年代は記録が残っていませんが、文化・文政年間(1804年 - 1829年)には既に存在していたことが数学者・山口坎山の日記から確認されています。1911年には荒廃が報告されましたが、1970年代に谷田部町文化財保存会によって修復され、現在の姿が保たれています。2011年の東北地方太平洋沖地震では壁面の剥離などの被害を受けましたが、その後修復が行われました。

よくある質問

五角堂はなぜ五角形なのですか?
建設目的や形状の理由は明確には分かっていません。設計の難易度への挑戦、和算の研究、あるいは陰陽五行説の影響など、複数の説が唱えられています。
和時計は現在どこで見ることができますか?
復元模型が谷田部郷土資料館や茨城県立歴史館に展示されています。
五角堂はいつ建てられましたか?
正確な建築年代は不明ですが、文化・文政年間(1804年 - 1829年)には存在していたことが記録から確認されています。

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参考文献

  • 茨城県教育委員会『郷土の先人に学ぶ』1986年。
  • 田村竹男『飯塚伊賀七』崙書房、1979年。
  • 茨城地方史研究会 編『茨城の史跡は語る』茨城新聞社、1989年。
  • 中村哲夫『茨城の建築探訪』崙書房出版、2006年。