髪型と理髪の歴史・文化の概説

📌 主なポイント
- ✓ヘアスタイルは頭部の毛髪を用いて作られるスタイルの総称であり、スキンヘッドのように毛髪を利用しない形態も含まれる。
- ✓古代エジプトでは宗教的儀式や実用的な理由からウィッグの着用文化が発達し、社会的地位の象徴となった。
- ✓明治時代の日本では断髪令が発令され、明治天皇の範を示す姿勢などによって文明開化の象徴であるザンギリ頭が普及した。
ヘアスタイル(髪型・髪形)とは、頭部から生えている毛髪を用いて作られる整髪の総称である。毛髪を伸ばす、長さを揃える、編む、固めるなどの多様な手法で作られるほか、毛髪を意図的に残さないスキンヘッドなどもスタイルのバリエーションの一つとして捉えられている。
髪を切り揃える行為はヘアカット(散髪)と呼ばれ、整髪の基礎工程やそれ単体でのスタイル形成を目的として行われる。また、髪型は単なる外見の装飾にとどまらず、歴史的・社会的に宗教、民族、集団への所属を示す重要な役割を担ってきた。

古代におけるヘアスタイルとウィッグ文化
古代エジプトにおいては、紀元前4000年から同300年頃にかけて鋭利な燧石やかき殻などを用いたヘアカットが行われていた。当時、「善と悪の精は頭髪を伝わって出入りする」という宗教的観念が存在したため、髪を切る行為は悪を追い払う儀式の意味合いも帯びており、理容を司る役割は僧侶や薬学者が兼ねていた。
また、古代エジプトでは古くからウィッグ(かつら)の着用文化が発達し、第18王朝や第19王朝の貴族層の間で広く用いられた。ウィッグが普及した背景には、剃髪を神聖視する宗教的理由のほか、強い太陽光や害虫から頭部を保護する実用的な目的があったとされる。ウィッグによるスタイルは社会的地位や富の象徴となり、男性は頭部を剃るか髪をタイトに密着させるクリップ留めを行い、長子は左右に編んだ髪を垂らす習慣が見られた。
欧米における髪型の変遷
ヨーロッパにおいては、17世紀にルイ13世がウィッグを着用したことを契機に、貴族階級の男性の間でウィッグが一般化した。特にルイ王朝時代(1661年〜1789年)は、人工のウィッグを中心とする調髪の全盛期を迎えた。
女性の間では頭部を高く結い上げるフォンタンジュなどのスタイルが流行した。18世紀後半の1760年代以降には芯を用いた大型の髪型が好まれ、フランス革命に至るまで「史上最大のヘアースタイルの時期」と呼ばれた。しかし、1780年代末になると貴族社会に対する批判が高まり、軽快な英国風モードが浸透したことで人工的なウィッグは衰退し、自毛を生かした結髪へと移行していった。

日本における髪型の歴史
日本の髪型は時代ごとに独自の変遷をたどってきた。古墳時代や大和時代には、男性の間で髪を左右に分けて耳の横で丸める「総角(みづら)」と呼ばれるスタイルが見られた。平安時代の貴族は、男性は髻を結って冠を被り、女性は簡素に髪を垂らす「垂髪」のスタイルをとっていた。

明治時代に入ると、近代化政策の一環として政府から断髪令が発令された。当初はなかなか浸透しなかったものの、明治天皇が自ら範を示したことで文明開化の象徴として「ザンギリ頭」が民衆の間で広く普及した。なお、相撲力士の結う髷はこの例外として認められた。大正時代から昭和戦前期にかけては女性の間で断髪が広がり、第二次世界大戦中にはパーマネントの禁止や「国民頭髪型」の制定など、髪型に対する国家的な統制が強まった。

戦後においては、社会情勢や国内外のポップカルチャー、ファッションの動向を反映しながら多様なヘアスタイルが流行するようになった。平成期にはメディアやアーティストの影響を受けたカラーリングや長髪のスタイルが若年層の間で広く定着した。
