箱館戦争の歴史的経緯と終焉

📌 主なポイント
- ✓箱館戦争は戊辰戦争の最後の戦闘であり、新政府軍と旧幕府軍の間で戦われた。
- ✓旧幕府軍の本拠地が五稜郭に置かれたことから、「五稜郭の戦い」とも呼ばれる。
- ✓1868年12月(明治元年10月)、榎本武揚率いる旧幕府軍が鷲ノ木に上陸した。
- ✓明治2年5月18日(1869年6月27日)、旧幕府軍が降伏し、戦争が終結した。
箱館戦争(はこだてせんそう)は、慶応4年/明治元年(1868年)から明治2年(1869年)にかけて行われた戊辰戦争の最後の戦闘である。旧幕府軍の本拠地が現在の北海道函館市にある五稜郭に置かれたことから、「五稜郭の戦い」とも称される。
背景と旧幕府艦隊の北行
慶応4年4月(1868年5月)の江戸城無血開城の後、戊辰戦争の舞台は北日本へと移った。新政府が徳川家に対して下した処置は駿河・遠江70万石への減封であり、これにより約8万人の幕臣を養うことが困難となった。海軍副総裁であった榎本武揚は、路頭に迷う旧幕臣を救い、蝦夷地の開拓と北方防衛にあたらせることを計画した。
榎本は新政府への軍艦引渡しを一部拒否し、品川沖から艦隊を率いて脱走した。仙台藩を中心とする奥羽越列藩同盟の崩壊後、榎本艦隊は旧幕臣や諸藩の兵士ら約4,000名を収容し、宮古湾を経過して蝦夷地へ向かった。1868年12月4日(明治元年10月21日)、鷲ノ木へ上陸を果たした。
旧幕府軍による蝦夷地平定
上陸した旧幕府軍は、大鳥圭介率いる部隊と土方歳三率いる部隊などに分かれて箱館へ進軍した。箱館府知事の清水谷公考は五稜郭を放棄して青森へ退却し、旧幕府軍は1868年12月9日(明治元年10月26日)に五稜郭へ無血入城した。その後、松前藩との戦闘や館城の攻略などを経て、旧幕府軍は蝦夷地を平定した。
明治元年12月15日(1869年1月27日)、旧幕府軍は蝦夷地において組織的な政権を樹立し、入札によって榎本武揚が総裁に選出された。しかし、新政府への開拓嘆願は右大臣岩倉具視によって却下され、新政府軍による本格的な反攻作戦の準備が進められることとなった。
新政府軍の反攻と終結
新政府は青森周辺に軍勢を集結させ、最新鋭の装甲軍艦「甲鉄」を含む艦隊を編成した。翌明治2年(1869年)春以降、陸海軍共同による本格的な蝦夷地奪還作戦が開始された。宮古湾海戦や二股口の戦いなどの激戦を経て、新政府軍は徐々に旧幕府軍を追い詰めた。
箱館市街地における攻防戦や弁天台場の孤立を経て、旧幕府軍の防衛線は崩壊した。明治2年5月18日(1869年6月27日)、五稜郭において榎本武揚らが降伏し、箱館戦争および一連の戊辰戦争は終結した。