日本の元号
白雉(元号)の歴史と背景
白雉(はくち)は、日本の元号の一つで、650年から654年まで使用されました。孝徳天皇の治世下における改元の由来や、当時の歴史的出来事について解説します。
📌 主なポイント
- ✓白雉は650年から654年まで使用された日本の元号である。
- ✓穴戸国から献上された白いキジを瑞祥として改元された。
- ✓日本で初めて「立年改元」が採用された元号である。
- ✓孝徳天皇の崩御により、白雉5年をもって使用が終了した。
白雉(はくち)は、日本の元号の一つである。大化の後、朱鳥の前に位置する元号であり、西暦650年から654年までの期間に使用された。この時代の天皇は孝徳天皇である。
改元の経緯
大化6年2月15日(ユリウス暦650年3月22日)、穴戸国(現在の山口県西部)の国司・草壁醜経が白いキジ(白雉)を献上したことを瑞祥(めでたい兆し)として改元が行われた。この改元は、1月1日に遡って適用する「立年改元」の形式をとっており、これ以降、明治時代に至るまで日本の元号における慣行となった。
白雉年間の主な出来事
白雉の期間中には、律令制の基礎となる重要な政策や政治的対立が見られた。
- 651年(白雉2年):難波長柄豊碕宮(なにわのながらのとよさきのみや)へ遷都が行われた。
- 652年(白雉3年):班田収授の準備となる戸籍作成が完了した。
- 653年(白雉4年):第二次遣唐使として吉士長丹らが派遣された。この時期、孝徳天皇と中大兄皇子との間で政治的な対立が深まり、中大兄皇子らが飛鳥河辺行宮へ移るという事態が生じた。
- 654年(白雉5年):第三次遣唐使として高向玄理らが派遣された。同年10月10日、孝徳天皇が難波宮で崩御した。
孝徳天皇の崩御後、白雉の元号は使用されなくなり、686年に朱鳥が定められるまで、日本には元号が存在しない期間が続いた。
由来と典拠
「白雉」という名称は、中国の古典に由来する。漢書平帝紀には「元始元年正月越裳氏、重訳献白雉」とあり、論衡には「周時天下太平,越裳獻白雉,倭人貢鬯草」という記述が見られる。白いキジは古来より太平の世に現れる瑞鳥として尊ばれていた。
よくある質問
白雉の元号はいつまで続きましたか?
白雉は654年(白雉5年)まで使用されました。同年10月に孝徳天皇が崩御したことで使用が停止されました。
なぜ「白雉」と名付けられたのですか?
穴戸国(現在の山口県)から白いキジが献上されたことを、天下太平の兆しとして改元したことに由来します。
白雉の次の元号は何ですか?
白雉の次は、686年に制定された朱鳥(しゅちょう)です。白雉から朱鳥の間には、元号が使用されない期間がありました。
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参考文献
- 『日本書紀』
- 『漢書』平帝紀
- 『論衡』儒増篇