中国文学
白話小説:中国口語文学の歴史と展開

中国の伝統的な口語体文学である白話小説の歴史、成立背景、および日本文学への影響について解説します。
📌 主なポイント
- ✓白話小説は、伝統的な文語体(文言)ではなく、当時の口語体(白話)で書かれた中国の文学作品である。
- ✓『三国志演義』や『西遊記』などの代表的な長編作品は、宋代の語り物の台本が明代に整理・発展して成立した。
- ✓江戸時代の日本において、岡島冠山や荻生徂徠らを通じて輸入され、曲亭馬琴らに影響を与えた。
- ✓1917年の胡適による『文学改良芻議』を契機とした言文一致運動により、中国文学における文語文の時代が終焉を迎えた。
白話小説(はくわしょうせつ)とは、中国において伝統的な文語体である文言(漢文)に対し、当時の話し言葉に近い口語体(白話)を用いて記述された文学作品を指す呼称である。この名称は、宋代以降の中国小説史において特定の形態名が与えられていなかった分野に対し、日本文学研究者の前野直彬が仮に付けた呼称に由来する。

歴史的背景と成立
白話小説の源流は、唐代の変文に見ることができる。宋代に入ると、娯楽性や勧善懲悪的な要素を多分に含んだ説話が口語で語られるようになり、これが後の長編小説の基盤となった。現在伝わる『三国志演義』や『西遊記』、『水滸伝』などの長編作品は、宋代の語り物(講釈)の台本が長い年月をかけて加筆・整理され、明代に現在の形態として成立したと考えられている。
日本への伝播と影響
明清代に数多く制作された白話小説は、江戸時代の日本にも輸入された。当時の漢学者の中には俗文学として排斥する動きもあったが、長崎の通訳であった岡島冠山や荻生徂徠らは、当時の現代中国語である「唐話」の学習とともに、これらの作品の普及に努めた。この受容は、曲亭馬琴や上田秋成といった日本の近世文学者に多大な影響を与えたことが研究によって明らかにされている。
近代における変容
中華民国期に入ると、陳独秀や胡適、魯迅らによる言文一致運動が展開された。1917年に胡適が雑誌『新青年』に寄稿した論文『文学改良芻議』は、文語文から口語文への転換を提唱する画期的なものとなった。この運動の結果、中国文学において文語文が公的な場から退いたことで、小説の区分としての「白話小説」という概念は、近代文学の潮流の中に吸収され消滅した。
主な作品
よくある質問
「白話」とはどういう意味ですか?
中国語で「白」は「申す」ことを意味し、「白話」は口語(話し言葉)を指します。
白話小説という名称はいつ頃から使われていますか?
宋代以降の中国小説史において、それまで明確な形態名がなかった分野に対し、日本文学研究者の前野直彬が仮に付けた呼称です。
なぜ白話小説は消滅したのですか?
中華民国期に起こった言文一致運動により、中国の公的な文章語が文語体から口語体へと完全に移行したため、あえて「白話小説」と区別する必要がなくなったためです。
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参考文献
- 前野直彬『中国古典文学大系 42』平凡社、1971年。
- 馬静雯『近世の白話小説訓訳本に関する日本語史的研究』名古屋大学大学院文学研究科博士論文、2020年。
- 中村綾『日本近世白話小説受容の研究』汲古書院、2011年。
- 孫琳淨『日本近世における白話小説の受容:曲亭馬琴と『水滸傳』』汲古書院、2021年。