日本の俳人
橋本多佳子:昭和期を代表する女性俳人
昭和期に活躍した俳人、橋本多佳子の生涯と業績を解説。杉田久女に師事し、山口誓子に学び、中村汀女らと共に「四T」として戦後俳壇で独自の境地を拓いた足跡を辿ります。
📌 主なポイント
- ✓1899年生まれ、1963年没の昭和期を代表する女性俳人。
- ✓杉田久女に俳句の手ほどきを受け、後に山口誓子に師事した。
- ✓中村汀女、星野立子、三橋鷹女と共に「四T」と呼ばれた。
- ✓代表作に「乳母車夏の怒濤によこむきに」などがある。
橋本多佳子(はしもと たかこ、1899年1月15日 - 1963年5月29日)は、昭和期に活躍した日本の俳人である。本名は多満(たま)。女性の哀しみや孤独、内面的な自我を、古雅な趣の中に知的な色彩を交えて詠んだ作風で知られる。
生涯
東京市本郷区龍岡町(現在の東京都文京区本郷)に生まれる。祖父は箏の山田流家元である山谷清風。菊坂女子美術学校(現・女子美術大学)で日本画を学んだが、病弱のため中退した。
1917年に建築家・実業家の橋本豊次郎と結婚し、福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)へ移住。夫が建築した邸宅「櫓山荘(ろざんそう)」は、当時の文化サロンとして多くの文化人が集う場所となった。この地で高浜虚子の来遊を機に俳句に興味を持ち、杉田久女の手ほどきを受けて作句を始めた。
1935年、山口誓子に師事し、水原秋桜子が主宰する俳誌『馬酔木』の同人となる。1937年に夫・豊次郎が急逝し、その後は大阪や奈良へ移り住んだ。戦後は西東三鬼、平畑静塔、秋元不死男らと交流を深め、戦後俳壇における女流俳人の第一人者として高く評価された。
作風と評価
橋本多佳子の作品は、女性特有の繊細な心理描写と、時に鋭く力強い表現が特徴である。「乳母車夏の怒濤によこむきに」や「白桃に入れし刃先の種を割る」といった句は、彼女の代表作として広く知られている。
同時代に活躍した中村汀女、星野立子、三橋鷹女とともに、その頭文字から「四T」と称され、昭和の女流俳句界を牽引した。1963年、肝臓および胆嚢癌により64歳で死去した。
主な句集
- 『海燕』(1941年)
- 『信濃』(1946年)
- 『紅絲』(1951年)
- 『海彦』(1957年)
- 『命終』(1965年)
よくある質問
「四T」とは何ですか?
昭和期に活躍した女性俳人である橋本多佳子、中村汀女、星野立子、三橋鷹女の4名を指す呼称です。それぞれの姓の頭文字が「T」であることから名付けられました。
橋本多佳子の代表的な句集は何ですか?
第一句集の『海燕』をはじめ、『信濃』、『紅絲』、『海彦』、『命終』などが挙げられます。
櫓山荘とはどのような場所ですか?
橋本多佳子の夫である橋本豊次郎が福岡県小倉に建てた邸宅です。当時の文化サロンとして機能し、高浜虚子をはじめとする多くの文化人が訪れました。
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参考文献
- 橋本多佳子全句集(角川ソフィア文庫、2018年)
- 坂口昌弘著『毎日が辞世の句』(東京四季出版)