日本の歴史

平民社:明治期の社会主義結社と非戦論

平民社:明治期の社会主義結社と非戦論
明治時代に非戦論を掲げて結成された社会主義結社「平民社」の歴史、活動、および『平民新聞』の発行について解説します。

📌 主なポイント

  • 平民社は1903年10月27日に幸徳秋水と堺利彦らによって設立された。
  • 週刊『平民新聞』を通じて日露戦争に対する非戦論を主張した。
  • 1904年に日本で初めて『共産党宣言』の翻訳を掲載した。
  • 1905年10月に活動を停止し、解散した。

平民社(へいみんしゃ)は、明治時代後期の日本において、日露戦争に対する非戦論を中核に掲げて結成された社会主義結社です。1903年(明治36年)10月27日に設立され、幸徳秋水と堺利彦が中心となって活動しました。

平民社の外観
平民社の拠点となった建物

結成の背景

日露戦争開戦前夜、当時非戦論を主張していた新聞『萬朝報』が、世論の開戦論への傾斜に伴い社論を転換しました。これに反発した記者の幸徳秋水と堺利彦は、非戦論を貫くために同社を退社し、社会主義思想の普及と平和主義の訴えを目的として平民社を設立しました。

平民新聞創刊号
1903年11月15日に発行された『平民新聞』創刊号

『平民新聞』の発行と活動

平民社は週刊『平民新聞』を発行し、平民主義、社会主義、平和主義を主張しました。同紙は社会主義運動の拠点として機能し、1904年には創刊1周年記念として、幸徳と堺の共訳による『共産党宣言』を掲載しました。これは日本における最初の翻訳とされています。また、紙面には英文欄を設け、海外の社会主義者との国際的な連帯を模索しました。

平民社の編集室
平民社の編集室。左から神崎順一、幸徳秋水、堺利彦、石川三四郎、西川光二郎、柿内武次郎。

解散とその後

当局による言論弾圧や財政難、内部の思想的対立を経て、平民社は1905年10月に解散しました。その後、1907年に日本社会党の機関紙として再興されましたが、短期間で廃刊に追い込まれました。平民社の活動は、後の日本における社会主義運動の源流の一つとして位置づけられています。

よくある質問

平民社が設立された主な目的は何ですか?
日露戦争に対する非戦論を訴え、社会主義思想を宣伝・普及させることを目的として設立されました。
『平民新聞』はいつまで発行されましたか?
週刊『平民新聞』は1903年11月15日の創刊から、1905年1月29日発行の第64号まで刊行されました。
平民社が解散した理由は何ですか?
当局による弾圧、財政難、および内部での思想的対立などが重なり、1905年10月に解散しました。

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参考文献

  • コトバンク「平民社」
  • 黒岩比佐子『パンとペン』講談社
  • 三書樓書舗「No.0043 直言=週刊平民新聞改題」